液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない

お昼にaちゃんと恵比寿で待ち合わす。チーズ料理の店に行ってラクレットなどを頼む。冷房が効きすぎててチーズが固まっていく速度を速めている気がする。お客さんはほとんど女性。途中、電気が消えたので誰か誕生日の人がいるのかな?と思うもなかなか何も始まらないので誰かがうっかり背中で電気をパチパチ消してしまって気づかないままでいるのかなと思ったらおもむろにハッピーバスデーソングが音響として流れてきた。ほっとする。が、一人の店員さんがデザート皿みたいなのを持って現れテーブルに置いただけで音もすぐにやんでしまい、なんとも中途半端な演出だった。やるならもっとちゃんとやればいいのに、もう少し盛り上げる工夫をすればいいのに、と思ってしまう。他のお客さんたちもなんともビミョーな後味だけ残される。

色々と話をする。私はもうすでに自分の中でまた一通りおさらいしてしまっていて収まり良く話せる状態になってしまっていたので、これっていいのかどうか?と自分で疑問に思うところがある。先週のこの世界の片隅にでボロボロ泣いたところでカタをつけてしまったような。作品で泣いたわけではないというところでまるで作品を利用して泣いたみたいなところが微妙に陳腐な感じがして嫌なのだが、でもそのように誘発してもらわないと自ら泣くことがもうできないのだ。年をとった。

でも、自分の中でだけでスッキリさせることと、人に話して宣言でもするかのように言う、といったものはまた違う。ある彼を好きであることには変わらないかもしれないけど、好きでいてもしょうがないし、よくないと思うし、それは無理やりな話ではなく、ムキになるのでもなく、クソみたいな下らなさとお別れするためにも私はほかに好きになる人を探したい、見つけたい、ということだ。決して恋愛がしたいといったことではない。そんな気力はそう言えばいつもない。楽しくありたい、したい、といった感じの方がまだ近い。恋愛というくくり、世界は私にはあまり合わないだろう。今までとは全然違うようなやり方で人を好きになり、ありたいような感じ。まあよくわからないんだけど。

ガーデンプレイスの方に移動して写美で展示でも見ようか?となるもベンチでひと休み、、のはずがそのまま喋り倒してなぜかこの真夏に日陰とは言え外のベンチで数時間過ごすという後から思えばなんだったのか、みたいなことになってそれはそれで面白みがあった。すぐそこに室内カフェはあるのに入らない、もうすっかりお金も持ってるのにまるでお金のなかった大学生の頃のようだなと思えた。ふたりとも顔テカテカになってたと思うんだけど、少しは風もあったしガーデンプレイスは人が多くないのでちょうどよかった。結局18時くらいまでいて解散。アトレを少しぶらついて帰宅した。