液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない

一昨日はROVOのツアー最終日ワンマンを代官山unitへ見に行った。
なんだろ、なんか、メンバーの6人がみんなすごくかっこよくてほれぼれした。いやまあもちろん前から知ってるけど、野音とかじゃうしろで見てるから最近は全然近くで見てなくて、unitは5~600のキャパだから当然うしろったってみんな近い。よく見える。そしたらなんかなー、むちゃくちゃかっこよいろぼの人たち。生身の人間としてリアルでごつごつしたかんじ。きらきらとさえしていた。もうみんな50代なのかな。益子さんとか年齢不詳だけど。こんな風に生きてる大人たちがいるんだなーとしみじみ思った。

はじめて聴いた新曲たちはどれもかっこよいと思うが、特にD.D.E.はすごかった!やっぱりすごいなろぼは!も、ほんと、頭が体が熱でとけていくよな感覚。なにか岩石の中をものすごい勢いで突き進んでいくかんじ。言葉にするとしょぼい風景だが。そうゆうミクロな世界なのだ、今のろぼに見える世界は。なにかを融解するほどの力や熱が渾然一体となって前進していく力。ミラクルだったな…。なんか、なんだろうあれは、踊っていてうわーこれははじめてだーと思ったのだ。

芳垣さんと岡部さんのソロ対決はVincent Atmicusみたい。片方がする、片方が応戦する、の繰り返しから自然と二人のセッションへ。ああなんて美しい流れでしょう。もうほんと私この二人のリズムが大好きだ。この人たちの太鼓って、リズムだけじゃなくて音色もちゃあんと見えてくるからいつも不思議。すごく興奮する。人間がリズムで踊ることの宿命みたいな、体内に組み込まれている本能みたいなものがこのときばかりと目覚めるのが自分でわかる。色んなものがめざめる。次第にほかのメンバーたちも戻ってきてna-xへの流れ。完璧だなー。

アンコールではREZOという曲。しずかになだらかに続いていく長めの曲。ゆりかごに揺られるようでもあり、ふっとそのおだやかさから目が覚めるようでもある。ひいてはもどり、ゆらぎ、それでも前へへと進んでいこうとするような。ああとても美しかったと思う。確実に、たしかな音。出すべき音。ROVOにしかできない音楽なんだなあと思った。全体的に新しい曲たちはより太く繊細に進んでいく印象なんだけど、ROVO見るのも二年ぶりくらいだったから明確にはよくわからないかもしれない。それでもunitというハコで見られたこと、その距離や空間の熱さに音を鳴らそうとしていく人たちの意志を見た、そのエネルギーみたようなものに迫力を感じ圧倒を覚え感動したのが今回の一番の大きな衝撃だ。

ろぼをはじめて見たのは10年前のライジングサン。はじめてのライジングサン。モーサムを見たあたりから移動がめんどうになってずっとアーステントにいた。そんでたまたま深夜2時くらいのろぼを見た。強烈具合はラストのFOEだったけど、はじめて見たROVOはわりかしさらさらなじみやすかったのだ。そのときはもちろんろぼの誰のことも知らなかったんだから、ろぼを知り、ろぼの各メンバーを知っていったことは私に多様な音楽のあり方を見せてきてくれている。その事実はでかいなあ。でかいっ。今初めて気づいたけど。

あの時ライジングサンで見てなくてもろぼとは出会っていたかもしれない。けど、どうしてもあの時あの場所でみたことの特別さを思ってしまう。ろぼを知ることで知った世界はいくつもあり、またそれらは重なり合い層になっている。ろぼは、他のバンドとは違う。メンバーみんながろぼ以外にいくつものバンドらソロなどをやっていて、その内の一つのろぼ。そして各人いくつもの活動のなかで一番有名なのがろぼであると思う。そんなろぼの存在というのは心強いなあ。ろぼもまたよく解散にならずに続いているものだ。いかにしてろぼの音楽が生み出されうるのかはわからない。しかしあの6人があつまって音楽をやり続けていることは、限りなくきらめいている。

山本さんと芳垣さんは母と同い年なのが確実だ。10年前は40代だったのに…。でもやっぱ年齢とかなんも感じないもんな。ただただ音楽をやっている人たち。ああ私はこんな人たちを見てきたのかぁ、と、なぜか今年はこんな風に思う、思える時期らしいので、みょうに何度も繰り返して10年という時を思ってしまう。大学出たあとの精神状態がたぶんマックスにひどくて、苦くて、今まで好きだったものがどれも苦しくなって、はなれてしまった。違う価値観に移行しなくちゃいけないというところにいた気がする。もしそのまま離れずにいられたら、と思う。でもそれができなかったのが現実だ。そして今がある。今あらためて見る音楽をする人たちのことは、昔見ていた気もちとは違う気もちをプラスして見るようになっている。その自分の変化。それを受け止めることのできる変わらない音楽、人たち。なんかもうそう思うとすべてすべてが奇跡みたいで、稀有で、なんてすごいことなんだろう、なんてなんて美しい人たちなんだろうとか思う。終始そんな思いのこみあげるライブだった。

新アルバムリリースツアーながらアルバム聞いてないけど、山本さん勝井さんがインタビューで今回は新たな段階みたいなことを言っていたから今度はどんな景色を見せてくれるのかという期待があった。はじめて聴く曲でもROVOには絶対的な安心感があり、それは予定調和な展開ということではなく、どんなめくるめく展開でもろぼについていけば大丈夫みたいな、どうなったって大丈夫みたいなこと。それだから、この音はどこへゆくのか、何が見えてくるのかといったことが楽しみでしょうがない。

ろぼは宇宙だといわれるけど、私のなかでは数年前から宇宙とは違った風景をろぼに見るようになった。それは中西さんがぬけた後からだったと思う。宇宙という無限に広がり外へむかっていく力というよりも、より一層一層内へ、物理的な内側というのだけでなく、時間軸みたいなことでの内というのを感じた。完全に私の脳内イメージの話なので言葉にするのはむずかしいが、宇宙という無限の空間からの過去への遡り、はるか昔、太古の世界へもぐっていくようなかんじであり、宇宙という最大の外側から地中の中心という見えぬ内部へもぐっていく感じであり、宇宙というマクロ的視点をもちうる空間から地上や海底やさらにその奥底までのミクロな風景やものや色や音が見えてくる、宇宙からより泥くさい砂の一粒まで浮き出していくような地底へダイブしていく感じが見えるようになった。だからまあ宇宙に違いはないが、ただ宇宙を漂うような限られた視点ではなく、疾走するように移り変わっていく視点みたいな感じがとても魅力的に聞こえるようになった気がする。
でもなんかそのうち、一曲一曲に対してこうこうこうゆうイメージ、かんじ、とか思わなくてもいいかなみたいな、限定させなくてもいいのかなみたいになった。というか単に私の頭が一曲に対してイメージをかためられなくなったという話かもしれないが。一曲ずつの特徴とかはもちろんあるけれど、それよかもっと全体通しての風景、もしくはもっと細部における風景みたいなのに気が向くようになった。単純に各人の今鳴らしている音はなにかを掴みたくなったということかもしれない。

なになに、また私が年をとったせいなのか、そうするしかないのか、他にないのか、うまいぐあいにタイムラグができてしまったからみょうにその言い方がはまってしまうようで気持ち悪すぎるんだけれど、昔よりももっともっとろぼの音に近づきたくなるようなライブだったのはたしかだ。たぶん、人間として対峙するようになってきたということかな。ただ音楽をしている人というだけでなく、私と同じように、みんなと同じようにろぼも人間で、沢山の人間のうちの一人一人の人間なんだってことが見えるようになったからなんだな。

勝井さんが最後に来年も確信を持って音を出していきたいみたいなことを言っていた。更に来年はまた全然違うことをやっていきたいと。もう来年のライブは実は決まっていて、コンドルを全く違うアレンジでやると言っていた。それが来月またunitでやるライブだ。山本さんが他のメンバーははけてしまったなか勝井さんのうしろでもじもじ。そして最後にありがとうございましたの一言。わくお客。あったかいなあー。山本さんかっこいー。やーっぱ山本さんのギターかっこいいもんなあ。はあ、ろぼかっこいー。unitくらいのキョリいいな。しかしやっぱり7:3くらいで男性が多いから、芳垣さんが見えないんじゃないかとはらはらした。芳垣さんは、見たいのである。しかしあの小さいロッカーで300円は高い。ぶわふっ。