今年は6月21日、ROVO presents MDT Festival@野音へ行った。久しぶりにあいにくの雨。5月じゃなかった時点で梅雨かな暑いかなと心配したけど、それでも雨はある程度で済んだし、2バンド目のユアソン時点でやみはじめた。それにしても今年は例年に比べ席が埋まっていくのがはやいようにも感じたのは気のせいかな。

ゲスト1組目はハナレグミ+ユザーン。永積さんの歌聞くのはもしかしたらピットインのとき以来か。ユザーン見るのも久しぶりか。個人的趣味でいくとどうしても聞かせてくれる曲の方が断然よくて、とくに私でも知ってる昔の曲はうわああってなるけどさよならCOLORとかもうずいぶん昔の曲だなあと思うとしんみりしつつ、みんなで盛り上がろう的なものはどうしても苦手だ。いやべつにこれはどんなバンドでもそうなんだけど。なんにでも対応できるわけじゃない自分がこうゆうとき少々つらい。タブラの音色はきれいだ。

2組目はYOUR SONG IS GOOD、たしかゲスト2回目じゃないだろか。前見たときにとくに印象に残らなかった感があるんだけど、その時に比べたらうまくなったんじゃないかという気がしたり。でもなんかやっぱり、どうも、飽きちゃうような気がしてトイレに行き物販をのぞきCDを買ったりしてしまった。部分部分では、あ、この流れ好きだなと思ったりもするんだけどそれがあまりに局所的だしじゃあその前後は一体なんなんじゃって感じがしてしまう。なんかよくわからなかったような、なぜみんなそんな盛り上がれるのかふしぎに思ってしまう気もして、ああだから私はやっぱりこうゆうノリ苦手なんだろぼがいいんだ…と思う。小さい。

ろぼの順番までは毎年ながらどきどきわくわくする。しかしメンバー登場してもクールな微風が横ぎる程度。が、芳垣さんと岡部さんがそろいの青緑色のTシャツ着てて、かわいい、かわいすぎるから!と思っちゃう。おそろ色のドラム二人が後方にすわりかまえるこのバンド。ああなんかそれだけで恍惚な気分になってしまってだめだ。野音だとメンバー立ち位置にほどよく距離があって、それでできあがる全体バランスがまたもうぐっときちゃう。野音ステージに対する比率感でもうぐっと来ちゃうっていうそんくらいろぼ野音がいとおしくってたまらなくなってきてしまっているらしい。ろぼはみんななんかいとおしいんだなあ。それはみんな冷静だからかなあ。客はあんだけ盛り上がるが、ろぼのメンバーはみんないつも常に舵をとる人たちである。その職人仕事のようなそれでいてエンターテナーみたいな粛々感、というのがまた惚れている要因かしら。今回のゲスト2バンドと比べると自分の中でそうゆうことがよく見えるような。

1曲目はSPICA。まあ大阪とかのセットリスト知ってたんだけど、それでもひゃあーきたーとなってしまう増し具合は野音ならではか。あれ、なんか山本さんのギターが今日はすごくバキバキなかんじがする、と思う。そんでやけに芳垣さんと岡部さんがクリアーに見える気がして、視力が急に回復したんじゃないかっていうくらい、でもたぶんいつもそれくらいなんだけど、後方席からでも芳垣さんの真正面からの叩き様が鮮明に見えてちょーかっこいい。うあああ美しいですねと思う。もうそれだけで感涙ものです。岡部さんと芳垣さんの目の前を走りかけていくような、それでいてスローモーションのようにも見えるドラムから音が発されていく様にのみこまれてしまうんだ。

新曲1。これら新曲は3月横浜でもやってた曲たち、のはず。益子さんの音からはじまる。それが印象的できれいで他の音が加わってきたときに形作られる様がぶくぶくしていた。そうゆうとき、音が地面や壁面から浮かび出てくるかんじがする。音がでてきた、と思う。ああ私やっぱりこうゆう瞬間の音楽が大好きだなあと思っちゃうし、それは歌のあるバンドでは見ないもので、草が虫が地中から生まれでてくるみたいなはじまりの景色でありにおいやざわめきみたいな。その瞬間に立ち会えるたびにうれしい。おだやかなのにわくわくするようなかっこよさ。そしてやはり勝井さんと山本さんのユニゾンがたまらなくかっこいい!3月横浜よりさらに!音の鳴りが野音ですごく映えていた。やっぱり山本さんのギターが今日はバキバキによく聞こえる。

そういえばここらへんでか、キセル兄が横を通っていった。あれ?なんかあの後ろ姿の頭のかんじは…と思ったらやっぱり。楽しげに見てたけど、握手求められたりしてて大変だなと思う。でもいつの間にか見えなくなってたから兄も楽しんだんだろうか。前に山本さんのライブでも見かけたし、その時は兄弟でだったけど、兄はけっこうろぼとかも好きなのかなーとまあ少なからずうれしくなったんだな。そして帰りもらったチラシに野音キセルが入ってた。しかも弟ぼけ兄にがっつりピントあってる写真。

新曲2。山本さんのやわらかな音からはじまる。そういや横浜のときはまだみんな楽譜というか指示書みたいの見てたから、そっからだいぶ仕上げてきたんだなあ。益子さんが今回はmac book使っていなかったような。あんまり覚えてないんだなこの曲。どんなだったかなあ。これら音源化くるのかな。はやくまたライブで聞きたい。

新曲3。ちょうど陽が落ちはじめて、あわいのようなすき間に、みぞにすいこまれていくような。陽がくれる時間を計算してこの曲をここにもってきたんだろうかと思うくらい、どんぴしゃりだった。これだから野音ろぼはすばらしいと、この一年の一瞬間にのどの奥をのみ込んでなおふるえを覚える。照明がきれいだ。水平線のように並び点灯しているその照明が音と相まって風景を連想させた。海があって山があって鳥が水平線に沿うように飛んでいるようなそんな。はじまりからの勝井さんの奏でるメロディがなかなかベタなかんじがして、それはそれで新鮮で。一度収束してからの再度展開していきおわりにまたはじまりと同じメロディへという流れもまた新鮮に感じられた。それはかえるという感じでそれがまた全然違う熱温度のメロディとして感じられたのは野音効果だったんだろうか。

そして芳垣さん、岡部さんのセッションへ。なんだか今年はこれで泣きそうになったんだがなぜだろう。気持ちが高ぶって荒ぶれてさわやかな奇跡のようで2人の音がまぶしい。2人の音のやりとりがまぶしい。はじける透明な向こうが透けてみえるソーダ水のようなねえ。そこからつながってNA-Xへ。もうねえ、かっこいい。

次のD.D.E.はポップでストレートでけっこう好きな曲。eclipseとかmelodiaのど直球も好きだけど、この曲のテンションがあがりっぱなし具合はぐわしゃっと頭のてっぺんつかまれてぶん回されつづけてるようなスリル的快感がある。めちゃくちゃかっこいい。遠心力で背が伸びてしまいそうな感覚さえする。微量に増幅していくエネルギー、永い時間のなかたくわえたくわえ一定の運動、火山活動のさなかにいるようなイメージ。今回は特によかった気がした。ライブ限定販売の野音10年目音源を買ったけど、つまり3年前と比べてみるとまた全然違うし、あふれでる音と光のエネルギーが眼に脳に焼きついたくらいの残像残響がある。最近の曲だけどゆえにやるかやらないかどうかなというところの曲でもあり、聴けてめっちゃうれしい。ずっとしょっぱなから踊りつづけてきたけど、もうこれで最後かもという予感も入ってくる。体感としてはすごく短い。まだまだぜんぜん物足りない、もっと聞きたい踊っていたいと思ってしまう。もっともっとろぼを聞いていたいのにと思う気持ちはだだをこねる子どものようだとさえうっすら感じた。

アンコールはSUKHNA。最後に笑いが出てきちゃう。いやもうすごすぎて、うっひゃっていうかわっはーって感じに。野音のたちあがる群れのエネルギーはなんか越えちゃってるもんが絶対ある、うまれてる。仁さんがイスの上にたってあおぐように手ふりをするのが好きだ。そこらへんでやっぱこちらも決壊してくる。

最後に勝井さんがまた来年会いましょうという。それはいつも言っていると思うんだけれど、ていうかいつも勝井さんは言っているんだと思ったら今年はその言葉がすごくすごく胸たかまる気持ちで届いてきたんだなあ。壁にめり込むようにずしんと、その重さにつまるものを感じた。時間が短い、まだまだ足りないような気がしたのは私がろぼを楽しんでるからだと思った。もっとやってほしいと思いながらもこんなに見せて聞かせてくれてうれしくてという気持ちがこみあげてもいた。横浜で勝井さんがよくこんなに続けてこれたと思うと言っていたけど、改めてそれをすんごいことなんだと実感してしまった。そのことになぜか妙にノックアウトされたのは、とにかく私自身が今ろぼを聞くことにかなりの楽しみを見いだせているからだ。今、ろぼの音をみるのがほんとに楽しい。それだけよく見えるようになったってことだろう。10年以上聞いてきてようやく今ここまでこれたよ!って感じがある。
はじめて見たライジングサンもライブビートもすごくよく覚えてるけど、そのころ見たのとはまた違う景色を見れるようになったことが、それは心情的なものだけでなく、身体で聞く、踊ることをろぼが教えてきてくれたことが変化というか過程として大きい。ろぼのライブ見てるときが一番全身の神経とぎすまされるし解放されるしそれでいてろぼの音にしばられ操られる。最近ほかにこうゆうバンド見てないってのも大きいかもしれないけども。でもそれにしたって野音を続けているろぼにかなうものはないのかもしれない。すごいすごい、ほんとにすごいことなんだ。ろぼはやっぱりみんなえらい。胸うたれる。室内ろぼは近くで見れたりするのがいいし好き、野音はやっぱり後方から見てると照明が映えた状態が見れてたのしい。照明があんなかっこよくなるんだと思うと毎度びっくりする。そのエンターテイメント性と、喋りなんてほぼないようなもので、愛嬌とかアピールとか煽りとかそうゆう類いもなくただ6人が音をあわせて進んでいく、それは魚が海を泳ぎ進むみたいに無言の行為のようであって、喜怒哀楽などの感情もぬきとった、リズムに従ってのみ進む道があるようなスタンスであることがとけあうことの稀有、というのか。はああー、ためいきでちゃうな。
また来年。その言葉は言う本人たちにとっても軽くない。だからまた来年がたのしみだ。今年もこのあとROVO見れる機会あるといいんだけどなあ。