なぜだかわからないけど、その頃は私よりも彼をわかってあげられる女の子なんてほかにいないだろうと思っていた。私は彼を好きというわけではなくて、そんなの関係なくて、ただ自分ほど彼のことを見てしまい知ってしまいわかってあげてしまえる人なんてそうそういないはずだ、というような感覚があった。私が彼を100でもそれ以上でも知っているというわけではない、そこに自負があるわけではなく、ただ、私以上の誰か、私よりも、私をこえて彼をわかってあげようとする人なんて現れるの?という問いからの結論としてのようなものだった。今から思うとなんなのそれって感じで、つまり、今となってはなんでそんなことを思てたのか、その根拠、感覚はいったいどんな実感だったのかもうさっぱりわからなくなってしまった。そう思っていた、ということすらすでに私の手から離れようとしている気もうっすらとする。だってもう、そういえばそんな風に思っていたんだっけな?そうだったよな?と確認をするために手が空をさぐっているし、誰にも確認のしようがなくてもうこれは捏造な記憶なのかもしれない可能性もあって、そのことが、なんてさみしいんだろう。

それは決して高慢なわけではなかった。ただ純然にそれは実際だと思っていた。でもこんなことを口にしても誰にもわかったもらえないだろうと思っていたから誰にも言わなかった。わざわざ言うようなことでもないものだった。だって、そうでしょう?誰がそうじゃないと言えるのか?といえるくらいの自信をもった手ごたえがあった。自明のことだと。もちろん本人にも言うことはなかった。

そんなことを言えるくらいのものが、本当にあったのだろうかと今になっては疑問が生じる。笑っちゃう。自分が思ってたことで笑っちゃうなんて、年とったなあほんと。よくよく考えると、冒頭で、わかってあげられる「人」ではなく「女の子」と書いてるのが我ながら興味深い。

 

よく晴れていて朝干した洗濯物が14時くらいにはほとんど乾いた。とりこんでから池袋の西武に行ってチョコレート売り場をうろうろ何巡もする。人でごった返す催事場。通路をどうにか進むためにはいろんな角度ですり抜ける。みんな視線があっちへそっちへ頭のなかはぼんやりなにかを考えているようなないような。自分で食べるわけではないのでとにかく毎年見た目と相応の値段だけで選ぶ。去年はどこのメーカーの?ブランドの?をあげたんだったか、それ忘れてるのやばいなと思う。そのあとロフトで化粧品など買う。最寄り駅で野菜を買って帰宅。ごぼうとレンコンのサラダ、さつまいもとえのきと油揚げと長ネギの味噌汁を作る。2日連続で肉も魚も食べてない。高いしなあと思って買わずにすましてしまうがまあなんとかなるのかも。