なんか急に食欲むくむくし出しちゃうかもという予感がお昼前から起こる。いや、そんなことないないと思うことにする。そう思う意識でどうにかなるはずだ、だってもうずいぶん生きてるし、経験あるし、みたいな感じでいたりする。午後、ダイソーに行ったら結構混んでいたうえにキッチン用品とか整理収納用品などがかなり品薄になっていてやることはみんな同じのようだった。網戸の網が小さなサイズで売ってないだろうかと期待したが売ってなかった。スーパーでポテチを買おうと決めていたがひと袋か?ふた袋か?ふた袋買おうかな、どうせ食べるだろうした思って、いや、あったら食べてしまうからやめとこう、という判断ができて実際行動にうつせてるだけでなんて私はおとなになったんだろうって気がする。ばかげている。あと春雨とかきゅうりとか水とか買う。そういえば来る途中にROVOのチケットの払い戻しをした。手数料もちゃんと戻ってきた。5500円。でも現金を使う機会は最近めっきりない。いつもならスイカのチャージとかには現金を使う。最後にATMで念のためにとおろした3万がほとんど変わらず残ってる。今日は風が強い。帰宅して水出しアイスティーを飲むのがたのしみ。飲みながらスマホで何か見ててふと顔を窓の方に負けたら網戸の向こうに、ねこ?え?ねこ?ですか?みたいなのがいるので言葉を失う。小学生の頃から家で猫を飼っていたから猫は見慣れている。見分けもつく。にも関わらずそこにいるはずのない目がふたつはっきりとあるいきもの的なものに、えーと?これって、ねこ?と理解するのに時間がかかってしまったのには我ながら驚いた。となりの部屋の人の猫がベランダづたいにやってきたんだな、と気づく前につかまえてしまおうか、という考えが頭をよぎったような気もしないでもない。猫は、明らかに網戸からこちらをのぞくように見ていた。でも顔はきょとん気味であり鼻がひくひくしてびくついてるようでもあり、なんなんその顔、とつっこみたくなるような気持ちにさせられるところがいかにもねこねこしい。猫ってこうゆうところあるよなあとじんわり感じいる。しばし見つめあったのち、猫はすたすたと去っていった。今日はどこの家も窓やドアをあけて風を家の中へいれてるようだったから、となりの人もそうしていて猫も偶然出てきてしまったのだろうか。うーんなんともおもしろかった。19時頃になってきてやっぱりむずむずとお腹がすいてきた気がする。今日は昼に白米も食べたから夜は軽くすます予定でいるが、このむずむずははたしてそれで制御が効くかどうか?をはらんでいるのがわかる。買ってきたポテチ一袋を平らげて、玉ねぎとピクルス、ハムのマリネにブロッコリーも混ぜたのと、もらった肉じゃがのちょっとの残りを食べて、さらに唯一食べるセブン&アイのサンラーメンのカップ麺を食べる。大河ドラマを見ながら。その時ふとでも大学生の時に比べたらこれくらいの過食は大したことないよなーと思って、あの頃は苦しくて大変だったなーということが思い出された。正確には大学出た後も、だから20〜25くらいの頃か、と思うと長かったなーと思って、そうだったなー今思い返すとあれはつらくて苦しかったんだなあと思える。思い出すと、それだけで痛々しく、見苦しく、でもそうすることしかできなかったという無力さややり場のなさにがんじがらめになっていたんだなあと、なんだか色々思い出されると同時の現在から眺めなおした。思い出すことは今までにもあったけど、久々にはっきりと思い出して、改めて思い出すとやけに重々しくて、ひどいものだったなという感想が自分に出てくるのだということが、新鮮だった。今はもうだってそんなふうに全然食べれないし。でも学生の頃はお金なくて大したもの買えるわけもなくてなに食ってたんだっけ?と思い出そうとすると、うーん、カボチャとかめちゃくちゃ食ってたな、丸々一個のカボチャを買って、茹でてやらかくしたのをミキサーで牛乳と混ぜてたりしたな、うん、あれ、それだけなわけはないはずなのに他が思い出せない。あとさつまいもだな。わからないがとにかくつらかったなって記憶的思い出はあるのになあ。日記を読み返すとかはなんかしたくない。食べることで解消しようとしていた、それしかない、わからなかった頃の若い頃の自分が今の自分にとってはとてつもなく侘しくて悲しいと思えてしまうのだ。救われなかった。

朝と昼ごはん、蒸し鶏のタレがいまいちシャッキリ足りない。

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