出勤する。電車の感じはやはりまた先週より増えた感じがする。仕事は相変わらずの感じ。平気だ、と思ったり、不安だ、と思ったりいくらでも何度でも反転する。不安だ、ということに関してはもはやこの先のこと、先々のこととしての不安を見るようになってきた。よく言われているが、秋からまたコロナが流行ったら全てまたなくなってしまうのかもしれない。そうしたらもう会社としての存続は難しいかもしれないと思う。その時点で難しい、厳しいのであれば、もうこのまま同じように勤めるのは無理なのではないか、転職をしなければいけないのではないかと思う。いつどの時点でその判断ができるだろうか。でも、それもありうると思う。同じ業界でも既存の仕事依頼として仕事があるところはあるだろうと思う。それはおそらく作業場所の違う会社だ。展示会、イベント業界、そこに含まれる多種多様な短期間の展示の仕事を主にやってきてる会社にはもうとことん厳しいと思う。果たしていったい、やっていけるんだろうか。売り上げがプラマイゼロにでもなれればいいけど、マイナス続きでいった時、その先にも回復が見込めないとなった時、という状況がなんだかありありと見えてきてしまうようなのだ。そうなるような気がしてしまう。それはいずれくるかもしれない、それは思わないわけにはいかない。

あさいさんと北朝鮮拉致被害者についての話をしていたら、北朝鮮はまともに話して通じる相手じゃないんだから経済制裁弱めるのも意味ないし何やったってしょうがない、無理だ、と取れるようなことを言っているので、え、それじゃあ被害者家族の方たちには諦めろって言うべきだってことなの?と思ったけど、言わなかった。言っても伝わらないと思った。まるで関係のないひとごとなんだなと思ってしまった。実際には私だってそうだ。でも、そんなのおかしいでしょって思う。あさいさんは他のことに関しても同じような態度であることがあると感じる。どうせ変わらないし変えられないんだから、ということに結論づいている気がする。それにむかっとしてしまうけど、自分は説得力ある言葉を持っていやしない。他人事として、私たちそれぞれひとりひとりが政府に問わねばならないだろうと思う。問う意思を持っていなければ、というか、持っているかどうかなんじゃないかって思う。おかしい、変だ、間違っている、なぜ?、どうして?、そうゆうことをひとりひとりが持つ、喉の奥で持っている、それが世論として形成されるものなんじゃないかって思う。何もできやしないなんていうことで何もしないのが正解だなんて、おかしいと思う。それですぐに対案を出せとかいうのももちろんおかしい。