改めて私は父親という人を父親というより人としておろかしく、醜く思う。少し前に思い出したことだが、23、4くらいのころ、自分が誰かに父親を紹介せねばならないということがあったら猛烈に嫌だと思っていたし、いないことにしたいと思っていた。ずいぶん忘れていたが、そう言えば激しくそんなことを思っていた頃がある。家を出たいと思ったのには、父親が嫌だという理由もまたそれなりにあった。父は、一般的な父親像というものからはおそらくずいぶん外れているひとであると言えるだろう。例えば私が部屋探しをしている現在においても一切その経過等を尋ねてくることはない。もちろん私も何も言う気はない。おそらく部屋が決まって荷物を運んでもらうのに車を出してもらうときになって初めて全てが解かれるだろうと思う。父は私のことについてほぼ関心はなく、心配もないだろう。それはずっと今まで同じようにそうだった。何かを聞かれることも尋ねられることもない。つまりコミュニケーションはない。多くの一般性のある父親という人たちはどうやら違うらしい。ということは私にとっては異常だと感じるが。娘にとっての父親ということでは、ただ存在しているに過ぎない。それ以上のことが、特に、ない。どういう人か、存在か、関係かと言えば、何もない、ただ私にとっての生物学上の親であるだけだ。それ以上の意味を持つなんて、気持ち悪い。考えられない。ないのだ。こんな人と結婚した母をかわいそうだとさえ思う。なぜ離婚しなかったのかとさえ思う。離婚してくれてたら良かったのにとさえ思う。こんな人が父親じゃなかったら良かったのにとさえ思う。ないのに、いるというのだから嫌なものだ。心底きもち悪い。自分の愚かさにいつまでも気づかないで傲慢でいられることに、蔑みの目を向けずにいられない。あさいさんのお父さんとのほうがよほど仲良しだ。