なんか最近は今までで一番なんじゃないかってくらいに日記を書くことに冷めている。書かなきゃというほどのことも思わないし、書きたいけど書けないということでもなく、書くことに虚しさを感じるというほどのものもやはりない。ただ日記を書くなんてことがバカらしいような、そんなような。けれど、自分にとっては日記で書くということがもつ、もてる役割についてはわかっていて、ああそうかむしろそれを避けたい、めんどくさい、やりたくないと思っているのかもしれない。そのために日記を否定する。頭の中で考えたているだけではダメで、書き出さなければ作用しないものがあるはずだろうと思うけど、それをすること自体こわくなる。でもやっぱり、日々のことを書き記すほどにむなしくなるのはある、今はそれをすぎて魅力を感じなくなったことが確かにある気がする。

自分と母親については10年以上考え続けてきているから突発的に今何か新しく起こっても参照事項があるといった感じだが、これが父親となると全く無なのだということをはっきり意識せざるを得なくなってきている。母については自分で語れる言葉がある、それをずっと探して考えて紡いできたという自負があるが、父については語る言葉が一切ない。それは子供の頃からのただ黙ったまま父および両親を観察しながら、いやな感じという居心地の悪さの中にいることしかできないままなのだと思われる。20代前半から半ばくらいまでは本気で嫌悪して、嫌悪していいんだ、私はこの人を悪者と思ってはいけないと思いながら母から聞かされる愚痴においては確実な悪者でありしかしそれでも母が嫌っているこの人を私までもが否定してはいけないんだと思っていたけどもうありのままのことを思っていいんだという方向に行った。今でもこの頃の嫌悪は引きずっているがその頃ほど強烈ではない。しかしそれでも今でも嫌悪が消えないというのは、つまり父が相変わらず嫌悪的な言動をやめないからだ。だがそれを目撃した時、私はそれを自分の中でうまく対処できないでいる。何も言わず関わらずでひたすら無視することにしているが、そのように完全に押し黙ったままクソな男と認知したままそれ以上何もできない。言葉にできない。思えばそもそも父親としての存在が薄い人だったわけだが、コミュニケーションもとってきてないしとろうとも思えないという意味でよくわからない人だ。何かを教えてくれた、何かを買ってくれた、どこかに連れてってくれた、そうゆうものは私の記憶に一切ない。たしか10代の頃に思っていたのは、ただお金を稼いでくる人だった。大学に行って、はじめてそうじゃない父親という人たちがいるというのを友人たちから聞いて驚いた。それで、うちの父親は子供に関心のない人なんだと認知することができた。父が死んだら私は泣かないだろうということをなぜか定期的に思う。私は母になぜそれなら第二子を、私を産んだのか?という疑問をいつも持っていたし、またそしてなぜそんな男と結婚したのか、なぜ離婚しないのか、しなかったのかという恨みというか父を否定しておきながら自分の行いのおかしさを正そうとしない態度への苛立ち、怒りがあると言えるだろう。子供の頃からいかに父がダメな人か、最低最悪野郎なのかという話を繰り返し聞かされてきた。それは私にとって大きな負担であり、人格形成に大きな影響を及ぼされたと思う。親が子供にしてはいけないことナンバーワンくらいに思う。片親にもう片親が否定されるというのは子供にとって自分の存在の否定になると思うから。しかしやっぱり父という人自体を語ることができない。あまりに恥ずかしすぎて、言語化できない、したくない、人に話せないという感覚もある。それくらいおかしなやばい言動を平気でしている人だ。そんな人が私の父親だということが私には恥ずかしくてたまらない。全く理解もできない。語れない。

たしか先々週と、昨日と、たて続きに父のひどい言動を見た。それは昔から何度も見てきた、それに嫌な思いをして、押し黙ってきたものと全く同じだ。一昨年に行ったハワイで私がぶちぎれて母と大喧嘩したときの発端も父のそのような言動だった。心の中でクソだ、と静かに罵倒する。けれど帰宅しても嫌な気持ちが拭えない、むしろどんどんどんどん圧迫してくる。嫌だ嫌だ、関係ないことだ、早く遠ざかろうと思うも、しんどくなる。その時、ちゃんと言葉にできないせいなのかもしれないと思った。そこに私にとっての母と父の大きな違いがある。