フジロックの中継で昼間にAJICOを見た。ツイッターでは開催の是非についていろんな意見が飛び交っている。私はなんかフジロック自体に関心が薄いせいか、正直、ああそんなに議論されることなんだ、と他人事のように見てしまう自分がいた。直前で出演をとりやめるのは、それは選択としてありだろうと自然に思えるし、出る人は出る人だし、参加する人も参加しない人もそれぞれだろうと。フジロックに行ったことがないから、実際にどんな感じなのかというのを知らないから、客層というのもよくわからない。宿のこととか、交通機関のこととか。でもまあ東京の街中とそんなに変わらないことなのかもなと思ったりする。私の中ではオリンピックと同じだとは思えなかった。それは私が音楽に対してあまいから、ゆるいから、好きだからなのかな。この時期になって中止を要請されるなら、それは補償がなくてはならないと思う。開催されるならもっと参加者に厳しい条件を課した方が良いのだろうと思う。でも、それでは成立しないのが現状なのではないか?だからやれることをやって、そのうえでやったのではないのか?完全なものは求められない。これ以上、失うものばかりである業界や人々がいることのほうに私は情けをかけてしまうのだった。自分も似たような仕事だから。現場があればそれだけで精神的にもほっとする。以前と同じように仕事があるわけではないなか、ひとつひとつの仕事が完遂されることを願う気持ちがある。この仕事なくなってしまうんだろうか、と心配するだけでストレスになり嫌な気分にさらされる。もうそれのずっと繰り返し、いつまでこんな状態が続くんだろうと思う。飲食店のようには取り上げられない業種、業界はいくつもあると思う。どこも自力でどうにかこうにか食い繋いでいると思う。それはいつか終わることを願って、夢見て、信じて、でも、そのこと自体で苦しいのだ。そんな人たちにすこしでも安らぎが訪れてほしいと思う。守られてほしいと思ってしまう。まるで、生きることが肯定されていないような世の中だ、政治だ。生きることが後押しされる社会であってほしい。そんな空気で蔓延して。

 

夜、フジロックROVO、ライブでSPICA聞くの久しぶりな気がするような。ますこさん踊ってるのが引きのカメラでも超わかるな。闇と光だな。

芳垣さんの手首の柔らかなうつくしさ。

最後のCISCOがとても素晴らしかった。これがROVO。年齢的にメンバーの皆さまは打てる人はワクチン打ててるのかな?というのを思ってそこだけひとまず安心して見てたけどみんないつまでも演奏しててくださいと願いはじめたらなぜか泣けてきた。去年はみんな生きてて…だったからな。

フジロックあじことろぼだけ見てあとはBTS見て過ごす休日。結局フジ行ったことないし興味そんなにないんだなわたし。でもどう考えてもやっぱりろぼは泣けたよな、なんか、去年、今年と考えたら泣くことでしか言い表せないもろもろもろが自分の中にはあってだな、でもそれは言えない。

ろぼのことを思うと泣いてしまう。なんだこれは。kさんならわかってくれるだろうか?少しでも同じような思いを持っていたりするだろうか。誰とも共有できない気がして、そのことがまたこわくて泣いてしまうのだ。