髪の毛短くしてめメンズぽく髪型を作ったところでこれまで以上に男性に目がいってしまい、これまで以上に羨ましく思うようになってしまい、ああでも全然違う、全然なれない、全然ほど遠いんだと思ったら悲しくなってむなしくなって自分はいったい何がしたいんだとなった。私いつまでこんなことやってるんだろう、いつまでたっても男や男の子になりたいと思っているのか、おじさんになりたいと思ってないわけだが、でももう自分はおばさんって感じになってきているわけで、そこの齟齬すごすぎないか?と思える。どうしよう。どうなるんだろう。急に帰りの電車でそんなこと思い始めたらこわくなった。とことんつくづく分からない。自分がわからない。このわからないことについてなんて書けば、言えばいいのかもわからなくて、誰にも言えないし日記にも書けない。どう言葉にしたらいいのかわからなすぎて、それで日記が書けない。そのことを書きたいのに書けない。書けないことはこわい。ああそうだからずっと無理やり言葉にしてきてたりしたんだよなと思う。とりあえずの言葉で土に埋めるみたいに静かになれる。

BTSやTXTのメンバーたちを見ていると、持ち前の顔立ちや背格好の良さが秀でているのはもちろんそれを衣装やヘアメイクやダイエットや運動やその他の努力、練習ほかで磨きあげてそのルックスと歌やダンスやトークやアイドルとしての職業を成立させているのがすごい。それをこれまでほとんどずっとアイドルに無縁で生きてきてしまった私が唐突の目にして知ってしまうとどうなるか、わけがわからなくなる。そして完全に憧れる、いや憧れるというのが正確なのかよくわからない、なんか違う気がしないでもないけど、率直に自分も真似したいと思ってしまうようなもっとそんな安直さ。我ながらそんな単純な?!と思うところだが、それは別に前からある感覚のことで、ただそれがBTSだとわりとただポジティブに作用してきてくれている、だからそれが楽しいのだ。ずっと男の子の背丈や骨格や格好に憧れて、羨ましく思っていたけど自分が真似をしても全然違うし、似合わないし、変だと思ってそれならしない方がいいんだとかなり思いこんできていた。今思えばなぜそんな決め付けていたのかと後悔してしまうくらい。男と女では身体のつくりが全然違うし、化粧をするしないの違いについても違う、男は化粧をしなくていいんだからずるいもんだと思っていた。その考え方って今思うと女は化粧をしなくちゃいけない、しないと存在を現すことすら許されないくらいの規範を抱いていたんだろうと思う。男はそうではない、それからは外れていると、でもそれ以上のとこまで踏み込めてなかったのが惜しいものだと今なら思う。今なら化粧はしてもしてなくてもどの程度してるかなんてグラデーションものだししたい人がすればもんだと思っている。化粧していないことを誰かから責められることでもない。化粧しているのが当たり前なわけじゃない。自分の顔がたとえ汚くたって醜くたってそれでも化粧しなくちゃいけないなんてことはない。若い頃は良くない顔だから化粧してマシにさせなきゃいけないくらいの思考だったと思うと、こわすぎるわけだが。現在としては化粧で自分の顔が変わるのは悪くない心地だし、面白みもあり、していないよりしている方の良さを主に外出時には選んでいる。でもずっとある自分の顔へのコンプレックスというのは根深いものがある。それでもずいぶん妥協し、諦めがつき、開き直れるようになっている。それはすごく大きな変化だと思う。でもだからそれはポジティブではない。自分の顔にも見慣れて、まあこれくらいで許すのが妥当だよね、これ以上求めたってそれは無理なものだからという態度。多くは求めない、理想も求めない、あるもので我慢する、みたいな。なんかよく考えたら自分の顔を受け入れるだけでもこんなに大変って一体なんだそれはって感じだな。ほんと苦しいよな、顔って。それはまあやっぱり自分が女だからなのかな?女友達はみんなたいがいこうゆうような煩悶の過程があるんじゃないかなとは思うわけだが、男にはあるんだろうか。あるだろうけど、女のこれとはまた違うんじゃないか?だって、女は苦しすぎるよなあ、もうほんと過去について、若い頃については吐いて吐いて吐いてもおかしくないくらいに苦しい。なぜそんなに求められ、求められていると強迫観念をもっていないといけなかったんだろう。でもそれが社会のコードだったよなあと思うし、いくら多少時代が変わったとは言え今の若い女の子にも似たようなものはあるんじゃないかと思ってしまう。美の基準が高すぎるし厳しすぎるんだ。こうゆう話を、共感できる人がいるならしたいけど、これが同年代の友達でもそうそう同じように思っている人はいるようでいないくて、かなしい。自分が過剰だったのか?わからない。まあそんな若い頃があっての妥協の現在、男性が美容や化粧で顔を変える、より美しく、魅力的にもなるというのを急に目撃、知ってしまった私は、うんうんうんうんそうだよねそうだよね男だってお手入れして化粧したらもっときれいになるよねそうだよねそうだそうだそうだーーーーーーーーというところに没入した。ずっと、なぜ男は肌の手入れをしてきれいに清潔に保とうとしないのか、その努力をしないのか不思議に思っていたのだ。モテないとかモテたいとかいうなら金や時間や情報使ってまずその辺の手入れからでも始めれば?と思っていたが、それを誰かに言ったことはない。男はしないと思っていたから、そうゆう生き物、性別の人たちだと。言ってもしょうがないと。でも、やればいいのに、なぜやらないのか不思議に思っていた。またそんなところで思考が止まっていた若い私。若さは素晴らしいが、しかし自分においてはその無知や無思考に頭を抱えてしまう。男性にも美容や化粧が浸透しているのは知っていたし、テレビや映画に出る人ならそれなりに整えられているのもわかっているし、全くの無縁だとまでは思っていなかったはずだけど、それはこれまでの「男らしさ」は消さない程度のものと思っていたかもしれない。BTSはもうそこが全然レベルが違う。そんなん言ったら他の韓国のアイドルの人たちもみんなそうっぽいけど。というかドラマとか見てても男性もみんなたいがいお肌めちゃきれいなのにも気付いてはいたけど。日本のアイドルの人たちに対してはやっぱりなんとなくみんな肌がそんなにきれいじゃないような、なんでもっと気使わないんだろうと思ってて、それもやっぱり男らしさは消さないために、きれいにしすぎるのは女みたい、女がやることだからみたいなことなのかなくらいの理解をしていて。完成度が低いというか。不満や疑問を持ってしまうところがあった。まあそもそもそんなに興味を持って見てはいないから偏見かもしれないが。今の若い人たちは違うかもしれないし。BTSはそのへんの私の中の疑問、不満をかっさらうように解消し、というかその疑問への肯定をされ、それがなんかそのままそしたら私も女だからという性別に突き動かされることなく自分の好きなように好きなような格好をしたらいいんだ、そうだそうだという励ましとなったんだが、ええ、こんなことでそんなこと起こるの?!くらいに自分でもびっくり驚きはある。え、それを、BTSで体験するんだ私が?!という。7人もいると顔立ちや体格もバラバラなのが面白くて、似合うヘアメイクや服もそれぞれにかなり違うのがわかるし、それでいてみんなとにかくヘアカットもカラーチェンジも激しくて似合う似合わないを越えたなんでもありみたいな大胆さというか、好きにしている、自由な感じがある。それもとても良い、面白いなと思う。日本のアイドルはもっとガチガチに色々縛られていそうなイメージが強くて、そうゆうのが嫌いで、痛々しく感じてしまうところがあるから、やっぱり日本のアイドルとの比較が大きく影響するのかもしれない。女だから化粧をするんじゃない。男だから肌の手入れをしないものだというわけじゃない。性別でくくり縛られる必要なんてないんだということ、それは頭ではわかっていたと思うけど現実それを乗り越えられないでいた。周りを見れば、女も男も今まで通りの女と男だった。だけどそれが直感でバチッとわかってしまった、ような、それくらいの衝撃と受容。自分の身なりに手を入れれば自分は変わるし、それを楽しめたらいい。それを面白がれればいい。それでまあすでにいくらか前から、去年から?コロナが始まってからか、そう、コロナで私は結構変わったから、メンズっぽい格好してってみようとはやっていたけど、髪の毛もすっかりショートヘアにし始めていたけど、潔く、挑戦的に、もっと自分がしたいように、なりたいように、やってみたい格好を作ればいいんだと思うようになっている。ずっと嫌いで憎たらしくて可愛くも美しくもない不細工の顔もずいぶん見慣れた甲斐はあるけどしかしこのさめざめした顔そのままでいいんだと、生まれて初めて思った。別に私が可愛くも綺麗にもなる必要はなかった、誰かからそう判断されるためにそう見られるためにそうする必要はなかったんだと、生まれて初めて理解した。あまりに明快なことすぎて、まるで大したことじゃなさすぎて、なんでそんなこと気付いたのってくらいのことで、驚いていいのか驚くことじゃないのかも自分じゃうまく判断がつかない。でもそんなこと今まで思ったことなかったんだ。そう思うと、驚いてしまう。自分がこれまで一体どれだけその規範に従って生きてきたのかと思うと、それでよく死なずに生きてきたもんだ。これがルッキズムか?いつの間に私はそんなものを取り入れていたと?わからない、そんなのわかるわけもなくとても自然に胞子みたいに空中に漂っているそれらをずっとずっと吸って取り込んで育ててきたんだろうなあと思う。こわい。自分がなりたいと思う姿形、格好がただ男という性別の人たちの多くがしているということ、ということだけには納められないとは思う。そこを深入りすることが難しい。それは絶対的な確証がない、言えない。自分が男の方を羨んでしまうのは小学生の頃からの男子の方が順番は必ず先で女子は後、そこにある「先」という優遇への疑問があると思うし、生きていれば男の方が得だということは自然にわかっている、目に見えていたことだし、だから女であるだけで負けなんだということに屈辱と怒りと諦念で狂いそうだった大学時代がある。それでいまだに自分も男のようになりたいと思うというのは一体どうゆうことなんだろうな。それは身体だけの話なのか?そうであるような、いやそれで終わらせてはいけないような?それは無用な問いか?男というよりは少年だったような、子供の頃に読んでいた細くて無鉄砲で優しくて繊細な少年の漫画、その姿になら少女の自分を重ね合わせることは苦ないことだったように思う、思うのだが。

結局ずっと答えが出ない。導き出せない。