朝から店舗の屋外の現場。昨日の天気予報から雨なのはわかっていたし、雨対策用にカッパやら帽子やら用意して、しかし防寒をどこまでするかに悩む。ヒートテックのレギンスを、一度極厚?をはいて、いややっぱ暑いかもと普通のやつにはきかえて、でもやっぱり寒いかもともう一度極厚にはきかえた。んでレッグウォーマーしてネックウォーマーしてっていう程度は揃えたけど、見込みが甘かった。久々につらいほどに寒かった。風がすごく強いもんだから、高さ3mとかでガラスのシート貼りやるには全然適してない。つくづくこうゆう時にはなんでこんな仕事を選んだんだろうと思うけどそう思うことにもすでになれ始めていて実際はもうそんなに思いもしない。思うということを思っている。でも所詮3時間ほどなんだから、と思う。昔はこうゆう時のみじめさがすごくいやでいやで仕方なかった。こうゆう時に自分から出てくる女の感じってほんと都合いいなって感じで今ではもうちょっと笑えもするけど、ドラマで見るようなきれいな身なりしてきれいなオフィスで働くような人々に自分は見下されるような人間の気になる。どこかで女なのになんでこんな仕事、と思うところがあるのだった。でもまともに考えたらそんなこと関係なかった。そんなのわかっててそれでもこのみじめさに苛まれたときの逃げ口がそれしかなかった。その思いが別の場所で救われたりむくわれることもない。いつもこんなんだから。一番下の仕事だから。それでも、そもそも女性が入りにくい職業でやってるんだから他と比べてしんどく思ったってそれでいいや、ちゃんとそう思おうと思ってる。それでいて他の仕事だって性別関係なくつらいこと、苦しいことがあるのだろう、それは私にはわからないことだからと思う。自分の仕事のつらさは自分の尺度の中でわかることだ。それでいいと思う。ただなんかもうこの仕事8年目とかになるっぽいがどうも私これでちゃんと職人に見えてるんだっけ?と思わずにはいられないのが、それは、自分が女だからそう思ってしまうのかどうか、それは自認の話でなくやはり他認の話なのだ。女と認知されることで、それだけで疑ぐりをもたれるんじゃないかという思いはずっと消えないし、そう思われて仕方ないとも思うし、思う人も思わない人もいるだろうと思うけど、いつもながら男しかいないわねえって場所に行っては私はちゃんと職人に見られてるんだろうかという疑ぐりは捨てられない、そのことが、なんだかんだ自分の中だけでちくちくと悲しいことだ。だからせめて車から荷物下ろしてその時点で腰袋はもう身につけちゃうの、あれは、腰袋が職人ですよっていう記号になってくれるのに頼っているからで、つけていくことで武装してるんだよな。まあ、役立ってるのかわからないが。たとえ男であったって、なめられるときはむしろいくらでもなめられるだろうと思うのに、自分が女であることにびびっている。それでいて女であることを隠れ蓑にしようとしているとも思う。女の私には男と同じ仕事ができるわけではないし、それは逆でもあるし、性別というか人と人との話でそれは成り立つ。だから役割分担だと思う。それぞれの得意、特徴の使い方。まあ自分が結局中途半端な技量や知識だからいけないのかもしれない。特別うでをあげたいとか、あまりないからな。

もう、すぐにでも、仕事は本当に何ひとつなくなるのかもしれない。そうなっても全然おかしくない。そうなって、そうなったら、どうなっちゃうんだろう。それでいつかまた仕事がくる日があるのだろうか。なんだか急に地球滅亡みたいなイメージがどかんと沸いてくる。もうなんの取り返しもつかないみたいな、もう終わりなんだみたいな。