液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない

qyu2005-05-26

昔を思い出した。なのでもう昔みたいになればいいんじゃないか?と。つうか柔軟になればいいというだけか。柔軟性に乏しいなぁ。体はやらかいけど。昔は全然日常のことを書いていなかった気がする。その日何があって誰に会ったとか話したとか、ほとんどそうゆうことは書いていなかった。意図的にとかじゃなくて、自分はそうゆう風に連ね書くのは下手だって分かってたし、それよりぼそぼそと色んな話題に触れてれば十分だった。自然とそうだった。だからその頃は日記とは全然思ってなかった。たとえ日記と呼んでも。うーん今の自分が日記をつける理由はなんだろう。なんだろうなぁ、日記としてつけることに不満があるわけでもないけど、自分にはそれがあわないのか?それに縛られるの窮屈な気がしてきた。昔は自由だったのかどうだったのかも分からないけど、なあんかあの頃みたいに出来たら楽なのになぁと思う自分がいる。とりあえずだからそんな感じにやってみればいいんじゃないかと思う。だからそうしよう。昔って大学入る前までの話。



私が初めてライジングサンロックフェスティバルに行ったのは16歳の時で、一緒にテントを張った人たちやあの場で出会った人たちは皆が皆、年上の人たちばかりだった。19〜22歳くらいの大学生であったり、それ以上の社会人の人であったり、色んな人がいた。16歳の私は珍しがられた。ソウルセットが見たいと言うと、口々に「若いのに渋いね」などと言われた。その当時はそう言われる意味が全然分からなかった。若いも、渋いも。16歳の自分には過去というものが特に珍しくもなく映っていたから、目の前にあって進むもの全てが当たり前のように感じていた。
それから3年経って私は19歳になった。今になってようやく色んな意味が分かる。16だった私が19になった。16歳という年齢は若いものであるという認識。渋いは多分ちょっとこの先も分からないかも、そうゆうものな気がするし。16歳の私には19歳の人でさえもとっても遠く見えていた。全然自分には関係のないことのように思っていた。けれど今自分がその19歳の場所に立っている。そうすると、かわいがってもらえていた16歳の頃がとても羨ましい…。なーんて。ま、本当にそう思うんだけど、甘えん坊な生き方だもんで〜。でもとにかく19歳の自分になって、こうやって色々考えられることに私はとても生々しさを感じる。けれど同時に夢のような話にも思う。16歳であっても19歳であってもどちらも自分。どちらも悪くてどちらも良い。
16歳から自分の道はある程度変わったと思う。それはそう。17歳の一年間があって本当に良かったと今では思う。18歳になってもっとふらついてもっと伸びた気がする。19歳になって、19歳なんだなぁって思う。そんな感じの今日この頃。
そんなわけで10代最後として今年は2年ぶりにライジングサンに行きたいわけだ。あー…3年前のソウルセットの映像見て泣こうかな。何回見ても泣けるのよ…。



今日は一限をサボってしまった。せっかく6時半に起きたのに。服が5.6分で決まらないと、大抵そうゆうときは駄目になるものである。まぁ実を言えば昨日の夜からそんな予感はしていたんだけど。予感っていうか、なんとなくちょっと明日はめんどいなぁって思ってた。昨日は踏んだり蹴ったりで疲れたし。出ようと思えば出れたけど出なかった。一緒に受けてるMちゃんにメールを送って、2限の頃に学校へ行くように家を出たらMちゃんからメールが。ななんんとMちゃんも同じく休んでいた。こうゆうところは気があうよね…。
学校に着いて図書館へ行くとAちゃんに会い、Aちゃんが本を探している間私は本を読んでいた。数日前から借りている、イサム・ノグチの本。イサム・ノグチの人生を追った本。前々からイサム・ノグチには興味があって、去年の卒研でもイサム・ノグチをやっている人がいていいな〜とか思ってたりして、でもそのままお流れになってしまっていたのだけど、K先生が授業で取り上げてたのでそれで思い出して借りてみた一冊。分厚い…。しかしこれ、上下巻なので、私は下も読まなければならないらしいよ。長い…。でも芸術家の人生っておもしろいからついついハマっちゃうんだよなあ。そしてまだ上の3分の1しか読めてないけど、かなりおもしろい。イサム・ノグチの人生についておもしろいとか言っていいものなのかはまあ置いておいて、こんな生まれの人だったのかと驚いた。そして大人になってからの発言も興味深いというか、とにかく人として興味深く思う。これは読み進めるのがおもしろそう。
数ページ進めたところで、Aちゃんと学食の方へ行ってMちゃんとも合流して。昨日からのなんとなくの疲れが続いて思わず午後の授業に出たくなくなった。なんせ歌う授業だし。歌うのは身体をそのまま出すことになるから、なんとなく嫌に思ってしまった。うだうだゃ〜。Mちゃんに愚痴(?)る。
そんな重い腰をあげ、教室に向かうことにする。そうしたらばったり知り合いの先輩3人に会った。うわぁH先輩なんて、4月に飲んだ時以来で会った気がした。相変わらずほのかにかっこいいな。この3人の先輩はみんな話しやすくて良い人たちだなあとしみじみ思う。特に話すこともなかったんだけど、なんかすんなり輪に入れてくれた。ほのぼの〜。他の男の先輩だとこうはいかなかったりするのが当たり前な感じだったりするから、思わずにやけてしまう。話してて安心する。
そして授業へ。うう、今日は3限から先生の表現力が爆発爆発していてついていくのが大変で大変でもうやられっぱなしでひれはらほろはれ疲れた〜。でもそんな先生は本当に素敵で素晴らしいなって思うの。あんなにあんなに表現力豊かだったらどんなに楽しいだろうっていつも思う。つうかいつもその豊富すぎる表現にこっちがビックリビックリなんだけど。先生にはやっぱりパワーがみなぎっている。声だけじゃなくて、全身体を通して訴えかけられる気がする。先生が引き出してくる、声を出すのに用いる身体と言葉の表現に私は目をつぶってそれを探る作業が凄く楽しい。こんな風に人の表現を自分に受け入れ更にそれを出すなんて、きっとそうそうない行為である。そして先生の言うことがまさにそうなった時は、思わず驚き感動する。自分の身体との関わりが生々しい。まぁ同時に疲れてくるんだけど…。そして先生の歌う声はとても素敵だ。声楽の世界って凄いなぁ。4限は第九に入る。先週の復習からとは言え、ひえええぇぇ〜。第九は本当に時間が足りないのもあってそそくさ進む。アルトとは言え音が高くてまいる。あぁドイツ語難しいっていうか…。がんばってついていく。こんなに生々しく頑張る時って他の授業でもそうそうない気がする。そして授業おしまい。お疲れ様というのにとてもふさわしい気がした。うえ〜ん先生がすごいよう〜。ほんとうに先生の発するパワーはとても強くてうちの学科では中々お目にかかれないものだから、とても圧倒されそれに対等出来ないことに少し悔しかったりもする。だからそこは頑張る。疲れたけど楽しい。
授業後、合研へ行って帰ろうとした時、S先生と会った。私「あ。」先生「あ。」私「あ。」先生「ださいたまのコだ。」先生って助教授よね?ね?助教授がそんな会う度そんなこと言うものなのか?こないだなんて「体調悪くなったりなんてするの?」と言われた。流石にからかわれている気がしてならない…。まぁ先生を前にして「あ。」とか言ってる自分もどうしたものかと一瞬思ったもんだが。



そういや図書館に新着図書でブレッソンの新しいらしい写真集があった。超重いの。つまり超分厚いの。結局超値段高いの。11000円って書いてあったの。もうよだれがだらだらどろどろもんかと思った…。すげえ…。あんまりよく読んでないんだけど、あんだけブレッソンの写真を集めた写真集は初めてくらいなものらしい。そりゃそうだろうあれだけあれば。だってだって見たことない写真がいっぱいでなんかぴんく色のバラの鼻血が出そうだった。やばすぎて少ししか見れなかった。まぁ新品で値段高いものという高級感に恐れたとも言えるけど。そんな中でも少し見れた、人物を撮ってる写真がすごーく良かったなぁ。ブレッソンの写す人物はとても好きだ。構図的におもしろいものの一部に人がなってるものよりも、ふつう(?)に人物を据えてる写真が特に。何かを強く感じるの。ぐっ、としたものに掴まれる。写す側のブレッソンの目と、写されている側の目が強く繋がれているように感じる。不思議だ。ああああの写真集、いいなあ…。でも重いからな…。全部載ってりゃいいってもの…?ああでもあの少年の写真は本当に良かったな〜。




あーーしかし来週の月曜までの課題が重たい。