土曜日、『Gerda Steiner & Jörg Lenzlinger - Power Sources 力が生まれるところ』を見に水戸芸術館まで行ってみた。水戸芸術館は、大学入りたてのゴールデンウィークの時にはじめて行った。そのときはなぜか父と母とで車で行った。水戸はうちから若干とおい。しかしよく晴れた空で、高速道路を走っているときに助手席の窓から青空を見たそれをよく覚えている気がする。そしてこのとき行った展示で私ははじめてBill Violaを見た。まだヴィデオアートもなんも知らない私だったが、静謐なその作品はものすごく印象的でった。ほかにも会田誠川内倫子、猪瀬光、加藤泉などその後も見に行ったり影響あったりなかなかいい人たちがそろっていた展示だったし、これ行ってたかどうかで結構違ったんじゃないかしらと思うほど。

スイス人のシュタイナー&レンツリンガーの作品はたぶん2回生のころ、ワタリウム美術館で作品を見ている。そのときは数組のアーティストの展示で、この二人の作品がポスターにもなってたことからビジュアルイメージでおもしろそーと思って行ったんだけど、実際行ってみてすごく印象に残させられた。大がかりなインスタレーション。仰向けになってあおぎみる広がりのたのしみ。かわいい、という印象はどうしてもわきあがってくるんだけど、それだけでない、それよりもっともっと大きなふくらみが感じられる。だから誰しにも驚きやみたされていくうれしさみたいなものがわきおこるんじゃないかしらと思う。それは今回の展示でも同じ。



写真撮影可ということで、なるべくかわいらしいものなどは狙わずに撮ってみた。撮らなくてもいいかな、とも思ったけれどやっぱりこんなふうに自分で見に行った作品を写真に撮っておけるというのはかなり貴重だと思い返して。この部屋は部屋で苗床という一作品。小学校の机のうえに作品はつくられている。なかには参加型の作品があり、緑色に着色された尿素を球体の発砲スチロールっぽいものに来場者がひしゃく半分ほどかけていく。すると育っていく。すでに随分そだって立派な生き物のような姿をしていた。この部屋では直接的なわかりやすい生は存在しない。けれどうきうきするようななまめかしさをもった生のにおいが漂っている感じがした。植物が土のなかからぽんっぽんっと芽をだしてくるはじけるような喜びみたいなもの。



ただこの作品だけは祭壇みたいな様式をまとっていて、死のにおいがしないわけではない。私はこの作品がなんでかどつぼだった。骨、白さ、こもの、土、と、今ここまで書いてて突然思いだした。わかった、そうかそうかそうじゃん。いやーー、どわー、うわー。という驚きでいっぱいだけれど、そうか、これら要素をひとつひとつ言葉に書き出してみてわかった。私が3回生のときに課題でつくった作品に同じ要素がくみこまれてるんだ。だから私はこの作品に共振みたいなものをしたんだ。目の前に立った時、うわあこれすごくすきだとフェチ的なむらむらするものを感じた。でもなに、そしたらそれは一体なんだったのか。私の作った作品は自分で撮った映像と(この中に猫の骨の写真がでてくる。ブラウン管テレビで流した)、撮影場所でとってきた土と、携帯とか時計を使った。暗さが必要だからせまい暗室を使った。(自分の過去日記読み返すと詳細が書いてあり便利)それのめざした形はやはり祭壇のようなもの、だった。そうそうそれで先生がなかなかよかったよとか言うから、は?!それはどうゆう意味かとなやんだなあ。なんていうか、すごい無意識。突然無意識のとこにあったらしきものがおりてきた。見た目の感じとかはもちろん全然違うと思う。私は一応映像メインだし(映像の授業だったから)でも生死を扱おうとするとこで似たアイテムをもってきている、という点で似てたんだなー。しかもそれ全然気づかなかったのに、言葉化しだしたらはっと気づかされるなんて。やはり無意識へ近づくのに言葉にすることは有用なのかしらと。



はあ、ちょっと、突然道がそれたな。

この作品はこんな小さなものものがいくつも大切そうに棚にひとつひとつおさめられていた。いろんなものが等価になる。いろんなものに言葉が与えられ、存在が与えられている、役割を見つけ出すかのよう。デュシャンみたいなかんじもする。けれどこの人たちのかろやかさがよりグッとくる。言葉のすくいあげかたがうまいな、と。フィッシュリ&ヴァイスに近いにおい。




ここでねそべると

リンパの世界が広がる。これは写真で見てもぜんぜんつまらない。自分の目と体をちゃんともってかないと、この世界は見えないはず。もう視点をあちらこちらへ動かし動かしずーっと見ちゃう。しぜんとこの中にすいこまれていってしまう。こういった高さのある空間を自由自在にあやつる感じはサラ・ジーを思いだした。ダイナミックでいて繊細で。ふしぎと思う。体験をするというこれだけのことに、こんなに目が開かされるなんて。




涙。他人の涙を誰がどんな涙かを記したリストから選び顕微鏡で見ることができる。他人の涙を見るという、なにそれな面白さ。そして美しい。




これは外にあった作品。手でうごかしてどうぞ。うしろで噴水でてるときだとまたいっそうよかったんだけどなー。
この人たちの作品は基本的になにか彼らの考えや思想を訴えかけてくるものではない。それよりも、こちらの体や脳みそや感覚の見えないところを開放させてゆき、どうよこれ、こんなんはどう?こんなのもあるよーと手ごたえある形でイリュージョンのように見せていってくれる。しかしだからといって非日常的なわけではなく、そこには陥らずむしろすぐそっと手をのばせば誰の身の回りにもある、内部にもある、現実と切れ目なくつながっている世界としてあってくれる。そういった全作品にながれるかろやかさ。本当に、すごくたのしい。他者の世界ではなく、他者と他者と他者と共有する世界。だからふわふわーっとうれしくて何度も部屋を行き来した。ゴールデンウィークまで。ぜひぜひみんなに行ってほしい。
東京駅から高速バスで往復3800円。一人ででも行ってよかったー。ほんとはできれば誰かと一緒に行くほうがより楽しいかなとは思うけど、スタッフのお姉さんが親切にいろいろ教えてくれたりもしてそれはうれしかった。



在日の恋人

在日の恋人

見終えてバスの時間まで少しあったのでナディッフで唐突に高嶺格の本を購入。