液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない

うーん久しぶりになりすぎてもはや書き方を忘れてきている気がしてならない。どうなんだろうそれって。どうしようもないが。もうあまりにも途切れてしまっているとして、さてどうするのか。いかんせんリビングにしかないパソコンでは日常的に書くのが難しくなっている。できれば本当は日記として書いていることがなにかしらとして良いのだとは思う。思考をすることの大きなところを担ってくれるから。しかし状況的にむずかしい。

ぐるぐるとああこの今の頭の中のことを書いていってみようとか思っていてもなかなかもうそれを実行できない。そのまま過ぎ去っていってしまう。それのくりかえし。べつにそれでも生きていけるんだけど、だけど、だけどそんなんでいいのか。そんな生き方でいいのか。それで生きているといえるのか。それで生きている意味みたようなものを得られているのかというと、うーんとうなってしまう。疑問を持たずに生きていくことはなんだか楽みたいなかんじがする。それでいて自分がとてもからっぽなかんじがする。

いやべつに何も考えていないわけではなく、その都度にどうしようかどうしようかと悩み考えていることたちはたくさんある。しかしそれは毎日の目の前の現実に必要なことで、必要とし、準備し用意し、そしてそれが必要をおえればすぐすぎさっていってしまうにすぎない。またその次にはその次の必要に迫られてそれを満たしていくだけだ。とても物理的に現実的に。必要なことをしているだけだ。

はじまりがありおわりがあることだ。明確に。そうじゃない、そうゆうんじゃないこと。永遠にひたすらに解決もないようなことが必要なんじゃないか。それらをただ思考することが。書き連ねることが。それを定着させていくことが。そうなんだろう。そしてわたしはいつのまにかそれをしていない。