液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない


今年一番のたなくじ。ふ、年が変わってしまった。まあ今年をふりかえるとはつまり来年にむけて思うことだしたかだか一日越えたからってかわりゃしないのだ。意味なんて見いだしたりしないんだから!ら?

おとついのライブについてはひとまずおいておき。一昨日からのつづき。
昨年はFacebookをはじめてみたものの、やはり自分にあっているのかどうかみたいなところに疑問が残り。どう使う?書く?みたいなところに悩ましさを感じたり、やはりただの繋がりとはいえ直接的みたいな繋がり感はむずがゆさでもあるような。なんかとりあえずみんな無視の感覚で自分用アーカイブにとは思っているけれど、それでもいいねボタンとかにわずらわしさも覚える。
なんかもう単純にちとつまらないとこもある。自分も、友達も。だから開く意味あるのかなみたいにもなる。今年は様子見か?かといってツイッターも続かなかった私はやはり飽き性?むぐー、やはりはてなダイアリーを好き勝手に書いているほうが性にあってるのかなとか思ったりする。

9月に舞台「浮標」を見て頭がほてったことから久々にアウトプット欲がわきおこり、更に10月に久々に見に行ったモーサムワンマンでライブ欲も同じく発生し、はてなを書くことに何かを見いだしたらしく更新することが楽しくなってきた。たいしたこと、なんも書いてないんだけど。同じことばかり書いている気、するんだけど。
12月はROVOワンマン、モーサムno evil、大友良英invisble bordersとライブをつづけて見て、アウトプットとライブという十年前にはじめたことを改めてはじめたようなところに返り咲き、ああ私この作業すきなんだな、楽しいんだなと気づいた。やっぱり、音楽を言葉にしていく作業が私自身いちばんぴったりくる感じ。するすると、しやすい。若いときに染み着いたせいなのかな。書けると、たいへんに嬉しい自分がいる。

アートや映画はまだ私には遠い。アートはまあ昔よりは手応えつかめるようになったけど。映画とかはやっぱ読み解くべきものみたいなのが多すぎて手におえないからあまり深入りしないで見るし、アートもやはり大きな歴史の文脈とか私の小さな脳味噌ではとらえきれない。読みとけていくともちろん一層楽しくなるけど、やっぱ私頭よくないからなあ、限界感じちゃう悲しさ。音楽、ライブはその瞬間のことだから私的には背景とかわからなくてもとりあえずは全然平気な感がある。そうゆう直感覚で感じられるところが音楽が勝ってしまうところかとは思うけど。ま、単純に好みや相性のことがらなんだな。

そして音楽やってる人たち、音楽で生きてる人たちがこの世界に生きている人間として何よりもリアルに私に写ってくれていることに感謝をしたい。モーサムの、解散もせず今があることはやっぱり奇跡みたいで3人のそのありようには人間として惚れ直させられた。改めてモーサムのありようを考えた。
それに芳垣さんとか山本さんとか大友さんとか。ROVOとか。私も年をとったぶん、とったからこそ、もしかしたら初めてはっきりと意識としてこの人たちの音楽で生きている姿に戦慄を覚えた。モーサムでも他のバンドでもそれは同じ。なんか、すんごいすんごい単純に言っちゃうともうみんなかっこよくて、かっこよすぎてほれぼれで、生きてる姿形の年月が、憧れるみたいなかっこよくて、だから私もそんなふうに生きたいみたいなことを思うのだ。もちろんべつにバンドやりたいとかそゆことじゃなくて、何かをおそれてそれに後込みしておしまいなんじゃなくてもっと戦っていくような、どうなるかもわからなくても突き進んでいこうとするような姿形になりたい、ありたいと思う。
つまり私なりのもさむみたいにろぼみたいに生きることを選択していきたいということを思わされている。思わされたのだから、ぜひそれをどうにか実施したい。たぶん簡単でなく簡単でなさそう感が漂っている。少しの時間の無駄も許されずに、おびえずに、自分をぼこすか殴り倒していかないといけない。それをやれるかどうか、自分の意志や覚悟次第だ。つらさもくるしさもわからなさも全部ぶち倒して鼻血だしても青たんできでも後ろから殴りつけられても立ち上がる意志を。自分に負けない意志を。これは書きながら自分に言い聞かせている行為。
こんなこと書いてしまうとはたしてちゃんと有言実行できるのかみたいなことに自分で自分におびえるわけだけど、まあできなくてもいいからがんばりたいよなとは思う。思ったことを忘れず、めげず、ふらふらと寄り添ってくる負な思考と手をとりあわないようにいなくてはと。
エヴァQでアスカがもはや自分の意志で誰かや何かを助けようと行動している姿にすごくじーんときた。シンジもマリもレイにさえもそうゆう姿が見えた。私はエヴァの物語構造自体や細部より断然そうゆうところがエヴァのすきなとこで、新劇版においてはそこらへん非常に感動した。安っぽいけど、勇気もらえる。そう思えることもあればそう思えないときもあるとして、今思えたならばそれ忘れちゃだめだな。


夏はなにかフェスでもフェスっぽいものでもなにかいけたらいいかなあとか夢見る。まあそのためにはしゅうかつしゅうかつ。どうなるわたし。
そだ、突然思い出した、おとついライブ見てて、もうちょーたのしくて、私めっちゃくちゃ満面の笑みで拍手してた。そんでふいにはっと気がついた。16.7のころ、いいライブ見ると自分がめっちゃ笑顔になってることに気づいてそれがすごいたのしくてうれしかった。それがライブの醍醐味というか、これが私のすきなものなんだという自覚になったというか。今から思うとそれも不思議な話だ。だって母曰くそのころの私は顔が笑わなかったということを後日言っていたから。顔の筋肉が動いてないみたいな。そんなも含めて、あー私笑顔になっちゃうの変わんないやーでへへ。ということに気づいてびっくりした。そかそか、やはりこれは大切にしたいなと思った。