液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない


ちょうど一年前くらいか、図書館で借りた押井守の「アニメはいかに夢を見るかー『スカイ・クロラ』制作現場から」という本を読んだら、うわなにこのひとの言ってることって私まさにどんぴしゃなんじゃとものすっごくびっくりどっきりしたのは。もともとスカイ・クロラがすきというかなんというかわからないけど、映画館で二回見ていた。なににそんなに惹かれたのかはよくわからないけれど、空が高くて青くてそこを飛び回る個人飛行機がかっこよく、その自由なふるまいに憧れるような羨ましいような気持ちの良い映像と音という感じはあった。キルドレたちと、そうでない人たちのそれぞれ、関わりあい方にも掴まれたところがあったと思う。なにという明快な感想などのないところで、人にすすめようにも何がいいんだとは到底言葉にならないようなところで惹かれているかんじだった。

本を読んであんまりびっくりしたので、一部ノートに書き写した。それからはそれを度々見返した。なんど見ても痛々しく自分に迫ってきた。押井守のことを私はそんなに知らない。だからなんでこのおじさんはこんなにいろんなことが、世の中が見えているんだろうかとかなり驚いた。まあスカイ・クロラは2008年公開で、本もそのころ出版されたんだと思うけど、押井守が語るところの今の若い人たちという話がまさにまさしく私自身だと思った。

全部引用したりするのはめんどくさいからなんとなく要約すると、若い人たちは自分の未来を保留したいのではないか、自分の将来の可能性をすべて保留しておきたい願望があるような気がするというよなことをのべたあと、不幸になることさえ恐れず、不幸になるという権利を行使する意志があれば人生は最も大きな情熱の対象になりうると言う。更に、人生を生きることは意志の問題であり、その意志の実現には仕事、家族、恋愛なんであれ不幸になるという意志をもつことが重要で、不幸になることを含めて人生の価値で捨て身の人生を生きる情熱みたいなものを若い人に知ってもらいたかったとこの映画を作ったことへの思いを語っている。まあ若干それは成功者が言える綺麗事みたいにとれないこともないかもしれないけれど、たぶん私はそうゆうとこは全然気にならなくてこれがなかなか素直に受け取れちゃったのはやはり映画に見ほれていたせいなのか?
なんかやっぱり言葉がうまいのかなあ。ありふれた言葉になってしまうような最終的に言いたいことの前までに語られる具体的内容がこちらの無意識層をえぐってくるかんじがある。おしつけがましいとか、上から目線とかただ否定してくるような感じではないところがすごい。

押井守はどう見ても少年アシベにでてくる中華屋のおじさんにそっくりな気がしてならず、他の作品を特に見てみようという気にもならず(ビューティフルドリーマー甲殻機動隊のどれかは見てる)、どんな生き方考え方しているのかもよく知らないままだけど、嘘は言ってない人だとは思わされる。むしろ大人というのかなんというのかわからないけどそうゆう視点をもって作ってくれる人がいるというのはありがたいなあみたいな、そんな気持ちになった。こんなふうに見えている人も世の中にはいるんだという安心感であるだろか。なんか、ちょっと、作品の見た目雰囲気だけで判断するとなにかうさんくさいような、遠いような感じしちゃうんだけど実はそうじゃなかったというのもまた衝撃はでかかった。
その、押井守の言ってること、そうゆうふうに生きたいなとは思っているんだけど。なかなかすんなりはできそうにないような、ふるいかたい頭の慣習化した思考についなっている。どこまでそれに近づけるか、みたいなものさしでしかはかれないかなとは思う。不幸なんてものを私はきっと知らない。だからこそそれを恐れてはいけないんだろうがなあ。


今図書館で借りている円上塔の蝶の道化師はすんごい意味わかんなくて久々に文学に苦痛を見た。なんだろな、例えばユリイカ読んでていろんなおじさんみたいな人たちの小難しいような単語やらがずらずら並んだ文章に対しては難しいとかは思わず、意味つかめんなあでも先に読み進められてしまうわけで繰り返し読んでなんとなく全体の意味は掴めたりする。んがしかしやはり文学は違うのかしらん。途中でもう読むのやめよかなと思ったけど、このくそとなんとか読み通した。
なにか今までにはふれたことのないような手触りはする。だから気になって読めたんだろうけど。なんだか悔しい感じがするので違う本をまたこんど借りてみようかな。理解はできるのか?私の頭に。ささやかな言葉づかい、やりとり、ほんの少し言葉をスライドさせ、世界をずらすようなそんな感じの文章だ。うまく、ついていけない。


ここまで、いつ書いてたかもあやふやな日記。ここからは今日。の話にしたい。
19時半からのクローズアップ現代木下恵介を特集していた。朝、新聞で目にして見たいなとは思ったけどその時間はいつもはごはん作ってるから録画でもしないととよぎりながらも朝の中に忘れた。しかし今日は母が作るとの吉報。NHKをつけていたらすっかり忘れていたけどちょうどよく放送も始まってくれた。
木下恵介の作品は学生の時に一本見ただけだ。いやほんとに一本見たのかもあやしい。授業のなかで見た気はするけど、どうゆう状況で見たのかがあやふやだ。しかし、なぜかすごく印象に残っている。何かしらの場面が残っているわけでもなく、なんも映像は覚えていない気がするが木下恵介という名前がそこで私に刻まれたらしい。私はもともと昔の映画にそんなに興味もないしでそっから更にほりさげることもなかったけれど、木下恵介がなにか有名に値する映画監督であることは認識としてできあがった。他の有名な日本人監督とはまたちがう感覚を見いだしていたような。
番組では木下映画を共感や愚痴というキーワードからほりさげていて、そのなかで映画監督の橋口亮介がでてきた。あれ、こんなにふけてたっけ?!みたいな容貌でなかなかびびる。私この人の作品とっても好きだけど、そんなには撮らないからすこし忘れていたな。なのでまあ突然びっくりしつつもこんなところで遭遇するとはと嬉しいような?ラッキーなような?繋がり?を感じられるような?そんな風でいたら、スタジオトークには昔木下作品で助監督をしていたという山田太一が登場。こちらも前に見たときよりふけたというか、まあおじいちゃんになったというか、しかしこの人の話はすごくわかりやすくていいなあ。話してる本人が楽しそうだしいきいきしているし。
そして私も木下作品が見たくなった。ほんと、昔の映画って見ようとするのにはなにか一線を感じてしまうようなところがあってなかなか見ないままできたたけれど、なんだかむくむくと興味がわいてきた。結構前になるけれど、フェリーニの作品をBSで見て、他も見てみたい気がしつつも時代が違うことへの抵抗感がやはりあったりするのだった。小説だと昔を読みたがるくせになあ。
学生の頃はなんでもいいからみたいにして知らないものをなるべく減らせるように、知っているものを増やせるようにと映画やアートやの情報を増やそうとしていった感じがある。今もたいして変わらないし同じなんだけれど、なんかちょっとまた違う感じがある。べつにむりやりになんでもやみくもに知りたいんでもなく必要なものを、私に必要なものをより選び、知り、取り出したいと思っているかんじかな。


さて今はもう土曜日になった。はたしてこれは正しい日記なのか?一日に何日が入っているのか?まあそんな日記。
木曜にクローズアップ現代を見た後、見る前からもうれつないやなかんじに入っていたもので、ついに金曜には学校はつ休み。だめ感にうちひしがれるも、ビューティフル・ライフ見て伝えたいものの勢いを感じる。同じく図書館で借りていたユリイカ山下敦弘特集を読んでもっかいばかのハコ船みたいなあとか思うし、やはりこの人はなかなか特殊な映画監督なんだなと思わされる。マイバックページを見たあとに読んだこともあり、楽しく読み通せた。この人のすごくいいなあと思うのが、演出してて自分でもなにがいいのかわかんなくなっちゃってみたいな話を自分で言うところ。監督の人がそんなこと言っちゃうの?!的新鮮さを前に何かで読んで感じた。そんなこと言えちゃうのはやはり客観視できる視点が強いからなのかなあ。
これの前にクリストファー・ノーラン号を読んだこともあり、いろんな人から分析、評論されちゃうというのはなんやか大変だなと、特に映画って、と思った。


一月はライブの予定は入れなかった。なぜなら二月に行きたいライブやらが色々あるから。しかしうまく調整すべきだったのか。まあもう無理だけれど。むしろ二月は妙にいっぱいいっぱいなんじゃ。みんなの戦艦という三日間のイベントの二日目にアルタードステイツ、パニスマBORIS他というわくわくしそうなメンツがあるので行きたいなと思う。