液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない


10日はdownyとMONOのライブを新代田FEVERへ見に行った。偶然にもこの2バンドは10代のころに知り音源は購入したもののライブは見ずじまいという共通点が私のなかにはあった。ただMONOはなんとなくそんなに好みじゃないような気ではいたが。てか昔は小文字表記だったんじゃないのかな。まあでも相変わらず日本では売れず海外での評価を得ているというところは変わっていなかったんだなあ。いやはや10代のがきんちょなころ見知った音楽を今もうこんな年だけおっきくなったところでライブをはじめて見ることになるなんて、これまた新鮮で新しい気がした。こんな機会も訪れるもんなんだなあと思う。十数年越しで見る機会。
お客さんは男性多めの感じ。いろんなTシャツ着ている人がいたな。そして外国人もけっこういた。
最初はMONO。もう前が男の頭の山の連なりでしかなくなんも見えん。潔く目つむって聞くことに専念する。どんなふうに音出してるのかとか多少は見てみたかったけれど。まあ音の音圧がすごい。ああゆう音は聞いたことがなかったかもしれない。音が立方体のような固まりとしてどんっと急に目の前に差しだされる。わっとその出現したものに驚くという体験感が今までになかったものを見た感じ。最近水性絵の具をさわっているからか、絵の具の色を筆で混ぜ合わせているときに感じる奥行きのなさみたいな、ぐねっとしたねじれの感触に似ている音だなあと思った。個体か液体か気体か、わからないなかに手をつっこんでいるような、そうゆう手ごたえがあるようでそれがなにだかわからないようなそうゆう音の世界。すべての音がよく聞こえるし決してうるさくなく心地よい。ドラムの音は特に強烈。他と何が違うんだろう、音の出し方として。バスドラがすんごい迫力。ギターやベースの音でふるえるスネアの音がやけに印象的。
どうにもどれも同じ曲のように聞こえるのか感じるのかみたいなところはあるんだけれど、一曲一曲がたしかに始まり終わるという形がはっきりしているからか思っていたより楽しめた気がする。あまり体調もよくなかったから辛くなるかなという心配もあったけれど全然平気だった。また見てみたい気もする。

転換に20分はすぎてdowny。セッティング段階でメンバー出てきているからなんかこういつ始まるのかよくわからないそわそわ感。映像用のスクリーン幕も張られて、ああこのお客の背中や頭にも投射が映り込んでるこの感じ、downyなんだなあと思う。スクリーンにただ映像が映っているのとは違う感触がある、それが10代のころにみたかっこよさだと思う。ただの映像は面白みに欠けたりする。この境目のないかんじ。
一曲目は新曲。新曲やるって情報はあったから一曲目からかなとは心構えしていたけれど。またこれかっこよかったなあ!うわあーdownyだーと思う。基本的に音源と遜色なく演奏される、すごいな。いくらそうだと知っていてもどこか本当にこれがライブで再現されることに音源聞いている時点では不信感というかどのように?という疑問があったが、実際完璧だ。要はどのように?どんなふうに?このバンドは音を鳴らすのかということだ。
その点においてはかなりさらっとしていたなあ。まあ少し場所移動してMONOのときよりはマシになったものの、主に見えてるのはロビンさんのみであとの3人はなんとか隙間から見えることしばし程度で具体的にどんな風にみたいなところは見れなかったけどみんなさらっとした顔をしているように見えた。むかしの映像でもそういやそうだった。しかし実際のライブはやはりかなりの迫力がある。
それはバンドで音を出したときの集まりとしての音が圧倒的な彩りをもっているからだと思う。音でおとしこめる世界。downyは全員の音ががっつりはまった状態で曲がはじまることが多いんだと思うけどそれがライブだと特に際立って戦慄を覚えるような感覚として体験した。とにかく出だしがかっこよすぎて、かっこいいっていうかまさかウソでしょう!?というくらいの感覚として本当にどうやって今音をだした?あわせた?というありえなさと、それを何度も体験したくなるようなスリルでさえあると思う。その一瞬、海で波に足をすくわれるような驚きとまた波のくることを待ちのぞんでいるようなはしゃぐ高まりと。それは音源にはない生々しさだ。生きもの、生もの、としてのライブではあった気がする。しかし深海のような感じだったなあ。どの曲でだったか忘れたけど、ロビンさんが歌いながらにやりとした笑みを見せたような数秒間があってそれが意味深のような何もないようなそのまま溶け沈んでいく感じが爽快さでもあるようだった。
私はやっぱりきっと変拍子が好きなんだろうけどそれはただ気持ちいいからなだけで、そうゆうリズムが自分の身体にはよくなじむ、なじんでいる。それはさあ、そうゆうもののはじまりは一体いつどこからはじまり連なり今にきたんだろうなあとかついついふわふわ考えちゃう。わかんないけどでも好きになったどのバンドにもおおよそその傾向や要素が多少はあって、でもまあいちばんでかいのはROVO聞いていいなって思えたときからなんだろうと思う。なぜ16の私がはじめて聞くろぼというような音楽を素直に自然にただいいなこれって思えたのかは今となってはわからないけどいい音楽だったんだろう、そこにはそれだけがある、それは力強い。そこからリズムのとりこになったのかなあとか思うとにやけちゃうんだよな。うお座はリズムだからな。自分のなかにリズムが流れることは本当におもしろい。ライブ見に行くこともメインはそこにある。
えーとすこし間があいてしまったこともあり記憶うすし。でもまだ初めてだったから1曲1曲受け入れるんで精いっぱいだったなあ。でも過去作品からも満遍なくやるんだなあと思って、でもまあそれは他のバンドでもそうか、他のバンドだとどのアルバムからやってるとかいう意識がもうなかったりするからそうかそうだよなーなんて思ったり。とりあえず個人的には2ndからの葵がきけて嬉しかったかも。あとは5thの下弦の月が好きだから聞いてみたいけどなあ。シロップも歌詞に月って結構ある気がするけどdownyもあるな、犬もそういや両者あるなあ。中畑さんはdownyメンバーと交流多いよなあ。
とりあえず来月はリキッドルームでまた見る予定。リキッドならステージもよく見えるだろうし、また違ったものが見聞きできるだろうか。ロビンさん裕さんが、どっちがどっちのギター弾いてるのかとかもちゃんと見てみたいんだなあ。裕さんは座ってるから今回はほぼ見えなかったけど髪の毛長い人はやはりその頭の振りようでかっこよくなっちゃうねえとは思った。でもリズム隊がやっぱり気になるしな。二人はどうやって呼吸とってるのかとか、もう基本的なところからして気になる。
終えて外に出ると耳鳴りがひどい。こないだのモーサムのときもあったけど、それを確実に上まわり、っていうか尋常じゃない耳鳴りっていうか壁として襲いかかってくるような響き。頭痛くなりそうなくらい。なんかfeverの音が前来た時よりいいなあって感じはして両バンドとも音はかなり聞こえやすかったんだけどやはり音でかかったんだな。井の頭線の静まりかえったホームでちょうど行ってしまった電車を待つ間、周りは静寂なはずなのに私の頭には実際的に頭を切断するような音が走っている。そのギャップ。肌の内と外との境が私の身体ひとつを通して感じられることがまたひとつの異様体験。でも不思議と渋谷駅着いた頃にはおだやかにおさまっていたから不思議だ。ふつうそう簡単にゆるやかになったりしないのに。

downyセットリスト、ネット上から拝借
凍る花
春と修羅

黒い雨
象牙の塔
時雨前

或る夜
左の種
曦ヲ見ヨ!

猿の手