液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない

先月の4/25日から5/2までフィンランドとバルト3国の旅行に行ってきた。母に誘われたツアーの旅。パスポートがちょうど切れるところで、更新に行かなきゃならないのに16000円もかかるし写真も撮らなきゃいけないし寒いしで面倒で面倒でもう行くのが億劫になったりもしたが、なんとか気持ちを切り替えた。10年前がちょうどやはり同じく母とイギリス旅行に行ったときだ。10年ぶりのヨーロッパ。

フィンランドは実質ヘルシンキのヴァンター空港の発着でほんの少し滞在しただけのようなものだけど、それでもこれがヘルシンキ、ここがヘルシンキ、なるほど、といった程度のものはなぜだか手にした気でいる。おしゃれというかこぎれいでシンプルでそれでいて温かさがあるというのは一体なんなんだろうな。量の多さや質の重厚さや圧倒的な華やかさなどはないが、灰色のグレーの中に冷たさというよりも穏やかで暖かな吐息が吐かれているような色や光のある感じがした。それが心地良いような、感じたことのないようなものだった。不思議だった。何だかは全然よくわからないままだが、それを知れただけでも面白い。

バルト3国はまた全然違った。平坦で、山もない、ひたすらのどかに道が続いていく。けれど国としてはとても複雑に入り組んだ道を辿り、開いてきた国々なのだと思うと、今こんなにもするするとバスで道を走っていくことをいとも簡単なことのように経験できてしまうことが複雑に感じられた。この国の人たちの感情をたとえ情報として聞いたとしても、例えば今またロシアに対して警戒心を持っているといったこと、そんな感情を自分はこれまで思ったことも考えたこともなくて、それが一体どうゆうことなのか、深く理解することは難しいように思える。国境は接しており(エストニアラトビア)ロシア系の人口の割合も高い(確かやはりリトアニアは少ないんだったような)という状況は、一体どんな心境や心情になるというものなのか?ここで暮らす人たちは一体どんな現在を、過去を未来を抱いているのか、自分の暮らす日本とは全然違うような気がして、そして自分は日本というある一つの国に住んでいるのだと思った。イギリスへ行った時よりも、断然に日本という国に住む自分というのを客観視するタイミングにはなったように思う。

帰ってきて日本はひと多すぎで出かけるのもイヤな気持ちになりかねる。だがなんとか今日は出かけて足立区の以外スタジオというところへ行った。どんなところなんだろうと思っていたら、住宅街の只中にあった。古い工場、アパートみたいなところに手を入れて、作りはそのまんまのようだけど床板とか一部張り替えられており雑然とした時代の年月の重さと掃除はされている小綺麗さとが相まっていてなんだか妙なぎこちなさを感じながら入っていった。どれが誰の作品かなどはわからないが、わからないまま出てきた。プロジェクターの光の中に浮き出るホコリ、チリがまるでそこに何かあるものだとさえ思った。何が何だか察知する能力が衰える、もしくは冴えていたのか。なんだかよくわからなくなる空間では写真を撮る気力が削がれる。何も撮れない気にされる。面白かったので、イベントがあるときにまた行ってみたい。