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そういえばBSで録画しておいたケラリーノ・サンドロヴィッチ作、演出の「ドクター・ホフマンのサナトリウムカフカ第4の長編~」を見たんだった。昨年の11月、KAATでの公演の収録。冒頭にケラさんのインタビュー、主演の多部未華子瀬戸康史の対談の映像がすこし入っていたからそれで内容を知る。カフカの未発表作品が見つかったという現代、その作品の物語世界、そしてその作品を書いていた当時のカフカの時代、の3つの世界が並行して描かれているが次第にそれらはつながり絡み合う。延々とぐるぐるするようだ、というのはとことんカフカっぽい。セットやプロジェクションマッピングで階段が入り組んでいるのもまさにそう。読んだのが結構前だから記憶もぼんやりだけど、「城」なんかはまさにイメージに近い気がした。また登場人物たちのセリフや置かれる状況ひとつひとつの不条理さが当然のごとく積み重なっていく、それで成り立っている世界というのがカフカの作品世界をみょうに増幅させて迫られてくるような気になる。しかし失踪者や審判も読んでるはずだがちょっと内容忘れてる気がするな。実家にあると思う。繰り返される列車のシーンが印象的だ。多部未華子演じるカーヤという女性が多様な顔を持っているのがおもしろくて、女性性ひとつに縛られてはいないとは思う。自ら迷いこみにいくような勇ましさとにじみ出てしまうような可憐さ、率直に人を断罪できる野蛮さ、健気に恋人を思っているかと思いきや双子の弟との区別ができやしない愚かさ、よく一人の人物にこんなにつめ込むもんだなと思った。でもそれで成功しているとも思える。刺しゅうしながら見れた。

朝、窓にアリがいた。いやアリではないのではないか?とも思えてくる。よく見ようとすると。でもそんなの考えだすと気持ち悪くてしょうがないから追求しない。なんで一体どこから入ってくるんだ、と思って、もしかして床とベランダに出る窓の隙間なのでは?と思ってマスキングテープを貼った。最初に黄色ので貼って、その上から弱粘の白いのを貼った。その直後にまた1匹いたから絶望したけどその後結局見ることはなかった。ふさぐ前からいたのかどうか。

午後、dommune美術評論家連盟の放送を見た。なんか久々にまとまってアートの話を聞いた。頭がついていけないような心地悪さと、頭がかち割れるような気持ち良さがあった。そうゆうものだったなそういえば。

夜、ETV特集を見た。フィリピン人女性と日本人男性の間に生まれ、フィリピンで母親とともに暮らす子どもたちは成長して父親に認知を求めるが認知されるのは3割にすぎない。認知は20歳までに行われなければ日本国籍は取得できない。父親からの送金が途絶えたり、そもそも連絡が途絶えていたり、様々な理由や事情があるなか進学もできず働いても貧しい生活をせざるをえない。父親に会うために来日したのに一向に会うことを拒否し続ける父親、その間に亡くなってしまった母親、こんなことなら日本に来るんじゃなかった、この時間を母親に捧げればよかったと泣く女性の姿、彼女だけじゃない、子どもたちはみんな泣いていた。父親側の当事者として、後半でひとりの日本人男性が出てきたのでそんな人がいるんだと驚いたが、その人は現在では娘と交流を持っていた。その人は自らの行動を反省していた。多くの人は、きっとそれが簡単にはできないのだろう。ETV特集とかハートネットTVとか見ていると、この日本という国は決してひとつの純真な民族だけで成り立ってなんかいやしないんだということがよくわかってくる。そこには時代や国、その中にいるひとりひとりの日本人が他者を排除したり差別したり知らんぷりしてきたために誰かに重荷を背負わせてきているのだと思う。私たちのいまだ知らない他者がたくさんいるのだということに驚かされるし、そこに目を向けずに日本が日本人がと語るのはとても狭い了見に思えてならなくなってくる。

くるみのクッキーを作った。よくできた。

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