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またガーベラの種がとれた。ふわふわが、見ても見ても見あきない。こんなにたくさん集めてどうしよう、どうするつもりもない。最近はスマホのカメラを縦フレームで撮ることが快感で、横はものすごくつまらないような気になってしまう。野暮ったいっていうか。真上から撮るときはべつだが。感覚がずいぶん変わった。昨日の日記を午前中に書いた。いつも、うまく、思っていることが書けない。思っていることがまず言葉にできない。それらはもやもやもやもやしている。若い頃はどうしてあんなに毎日毎日苦しくて辛くてやまなかったんだろう。今は、どうして平気になってしまったんだろう。苦しむ気力がないように思える、それならそれで良いというものなのだろうか、それすら、わからない。若い頃、20代の頃と同じようにずっとずっとずーっと、あらゆることに自分の不出来さを感じ、何もないことに絶望し、自分だけが世界から取り残されたことに嗚咽するようなことが今はもうできない。その変化は何と名づけられようか。私はあの頃本当に自分が生きていることが許せず、解せなかった。自分が憎い、そのことしか考えられなかった。部屋の壁に、自分の体に死ねと何重にも書き殴らなければ生きていられないと、そうすれば自分が許されるんじゃないかって、何かにすがりたかった、それは誰か、誰かの許しが欲しかった頃。私は私を許してしまったのだろうか。それが生きる術だったとして、それは正しかっただろうか、必要だっただろうか。もう生きてる意味がわからない、ないからといって私は悲しまないのだ。なんて不感症になったんだろうと、34になってみたら、そんなこと思うなんて、なんてバカげてるんだろと思うし、そうかそうゆうことになるんだなと納得できるし、そんなもんなんだと虚しくなる。私なんてものはない。

新しい生活様式という言葉がなんだか気にくわない。っていうかしたり顔でそれを宣伝してくるNHKのニュースにいらっとする。今まで決して当然でなかった言葉を当然のように振りかざしてくるのはじつに暴力的な感じしてしまう。

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