液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない

あさいさんが午後から打ち合わせに出るというので同じタイミングで出る。中央区のあたりで降ろしてもらう。しかしすこぶる体がだるい。夜のライブを見にいくまで多少時間はあるし、一度帰ろうかと迷うが、これは逆に展示を見にいく方が良いだろうと結論。kanzan galleryで梶井照影さんのDIVE TO BANGLADESHを見る。特に女性たちのまなざしが柔らかく、良いなと思う。メイクも意味合いがありそう。洋服の柄もチェックといえど日本で見るのとはやや違う気がした。男性の着こなしがなんとなくかっこいい。ラナプラザという縫製工場の崩落事故のあった場所の写真、何も知らずに見ると地震があったかのようにも見える。でもそれは建築基準を満たしていない建物でありミシンの振動が主な原因だったという。そうゆうところで人が働き、生活をしている。また線路に群がる人々の写真も印象的。そして路上で眠る人々、老人から小さな子供まで。その姿になぜか私は自由さを感じる。それは正しくないのかもしれないけれど。実際の現実は分からず、写真を見て想像している。ゴミの埋立地らしき場所に立つ少年。木の枝のあたりまで埋まっていることから、そこは実際より随分かさ上げされている場所なんだろう。少年は麻袋みたいなものを引きずっている。そこにあるゴミ。

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αMで東京計画2019 vol.2 風間サチコを見る。風間さんの作品は前に一度見たことがあると思う。その時もすげえな、とドッキリ思わされた気がするけど、今回はより一層、来年の東京オリンピックという疑わしくも現実になるらしい近い未来があるだけにするするとふところに忍び込まれてくるような。そしてデカイ。そして緻密。版画といえば小学生の頃にやるものだろう。その時の彫刻刀の危険でいて道具、彫られた木屑、描いた絵、黒と白、そういった諸々が強く頭に浮かびあがるものだよなあと思う。また横一列に並べて展示されていた奇妙なストーリーの絵もすごく面白かった。面白かったといっても、なんだかよくわかりはしないのだが。すごくいい線を描くんだなあと思った。あの紙は何なんだろう。謎の球体をもてはやし?、あれで一体何をするつもりなんだろう。ただ無邪気のような。

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表参道画廊で多和田有希、原田裕規のふたりによる家族系統樹を見た。多和田さんの作品で大きいプリントの方の作品、ホワイトアウトは随分前にどこかで見たことがある気がする。藝大の卒展か?自分の中でその記憶の蘇りというか、引き出しが開いたことにややたじろいだ。覚えているものがあるのだなあと。眼が、見ていたことをうすら思い出す。原田さんの写真は誰のものとも知らぬ人々の写真のなごりと言っていいのか、垢のついたような見えるのか見えないのか感じるらしき痕跡が撮られている。遺品そのものって感じではないが、遺体が残した思い出かのような。けれど写真自体は新しい。その時間のひらき。去年kanzanmで見たときに、原田さんが集めた写真の山を目にしてすぐさま自分がこれまでフィルムで撮ってきたしょうもない写真の数々もいつかの将来このようになるのではないかと思い、複雑な気持ちになった。たまたま展示室に若い人たちが複数人おり(原田さんもいたのかも?)皆でその写真の山を囲んで漁り?見ていた。私にはそれが少し辛かった。自分の写真も同じように、私の知らない未来で、知らない人々に昔の写真って面白いよねーと言われながらパラパラめくられているのかと思ってしまうのだ。私はそれらの写真に簡単に触れることはできない。そんなデリケートさを自分が発揮してしまうのは何かおかしいのではないかという気もする。モヤモヤしながらも興味がある。

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それから渋谷へ移動してヒカリエをぶらぶら、渋谷クアトロへ空気公団の山崎さんと冬にわかれてのライブを見に行った。ツイッターで書いたので引用。でもツイッターじゃ書けなかったこともじつはある。書けなかったのはつまりうまくよく言えないってことでもある。

山崎さんと寺尾さん、おふたりの歌声もおしゃべりもとても素晴らしすぎて、自分というのはひどく何も知らない、分からないまま平気でいる薄情なものなのではないかと言ったような陰鬱さに襲われてしまった。なにそれ、、って感じなのだが。別におふたりとも人格者とかってわけでもないんだけど、存在感の崇高さにでもやられてしまったのだろうか。うう、なんだか辛くなってしまって、自分が小さい。うーん。しかし、音楽は素晴らしく、ひとつひとつの楽器を堪能することができて、音楽って面白いなあと思った。いや、違う、この場合、というか最近結構音楽っていうのがなんか違う気がしたりして、音楽って書くと、いやなんか違うんだよなあと思うけど、曲とか音ってことでもないし、音楽っていうより音のあわさり、一緒に音を出している人たち、音の造形、みたいなことの感じが本当は言いたい。音楽、と言ってしまうと一般的なものに集約されてしまうような、や、まあそれで間違ってるわけでもないだろうけど、永遠持続する形あるものではないということが言いたいような。

寺尾さんが旅にしませんかで参加、山崎さんが高野寛さんのカバーCHANGEで参加しあっていた。両方ともボーカルが女性で演奏メンバーは男性だった。マッチョ感が全然なくて、でも客席はやはりおじさんが多そうだったな。レコードを買って帰った。

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