液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない

自分はいつも、この人となにか特別な関係になれるのではないかという一瞬の期待を胸に簡単に抱いては、いやそんなことは起こりえないのだということに気づいて落胆しているようなところがあるなと思う。そのような淡い期待をつい抱いてしまうのは、誰かという存在がほしいからだ。それは自分を差し出すこともなく、ただ相手から与えられたいかのように。ただ一方的に求め、与えられたいと思っている。自分がさみしいから、それが埋められたいと思っている心理がそのように働いているのではないかと思う。歳を重ねてきたら、こうゆうことが顕著にいちいち出てくるような気がしている。そうゆうことを繰り返しながら、でも、自分は誰のことを愛せたりはしないのだろうし、愛されることもないだろうという遠くに定まったある景色を見つめなければならない。視線は前景をうつろいながらも、最終的にはいつも同じ後景ににピントがあう。なぜこんなことを書いたんだろう。

 

生理前で体調がすぐれず仕事もやる気が微妙で雨つづきのなか土曜日に友だちがイメージフォーラムのシュリンゲンジーフ特集を見に行くという連絡、私ももともとその予定であったため直接イメフォでおちあう。会うのは年末ぶりなので半年ぶりってところか。なんとなく緊張をするのはなんだというのか。なんの意味もない緊張だなと思う。着いて、ドアの丸窓をのぞくと、いた。メガネをかけていたが、あれはダテなのかどうか、結局最後まで聞かなかった。先にチケットは買ったらしい。待っといて一緒に買うとかいう神経は一切ないのだな、まあ知ってるけど。めんどくさいのでどの席を買ったかとかは聞かないが結局前後の席だった。13:30からのフリークスター3000を前から3列目で見る、やはり4列目の方が良いなという確認がとれる。ここまで書いてなんだけどこの調子でずっと書いていくのはしんどいかも、てか、これではいつ書き終えるとも知らずだ。とりあえず今日はここまででいいとしてしまおう。じゃないと日記が止まったままになってしまう。毎日がなかったことになってしまう。