液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない

ついだらっと過ごしてしまいがちな土曜日の午前中。塩田千春展をそろそろ見に行かないといけないと思いつつ、今日までの展示があることに気づきそっちを優先した。αMでやってる『東京計画2019』vol.3 Urban Research Groupを見に行った。テーマ?は引越し、最近自分の中でなぜ東京に住まなければいけないのか、みんな、なんで東京にはこんなに多くの人が住んでいるのか、自分の住まう場所とはどのように選ぶのが適切と言えるのか、自由なんてあるのかいないのか…など思ったりしていたので、それがURGの手練のような手法で東京という都市からあぶり出されているようで面白かった。八潮団地の展示がすごく面白いと感じたのは何か決まりきった外観としてのレッテルのようなもの、それでいて置いてけぼりにされている具体的な中身の均衡の崩壊と再建みたいなものだったような気がするが、今回の展示もそれから通じ、つながっている感じがした。それは確かな道のり、足もと、移動し、ぐるぐると循環するような痕跡がそこら中に足あととしてついているような。URGの本棚に安吾堕落論があって、なるほどなと思った。何がなるほどなんだ、と思うが、安吾をそのように読むのかな、と思った。それは面白いなと思った。そのように、を詳しくわかるわけではないが勝手に想像した。

それから小伝馬町との間にあるベーグル屋さんに寄ってみた。前から気になっていた。いい匂いがする。まだ温かい。ほんとはまたその近くのハンバーガー屋さんでお昼を食べようかと思っていたが混んでるようだったのでやめていたのでここで買ったベーグルを結局駅のホームで食べる。外側がびっちりで中はむちむち、そういえばベーグルって久々に食べた。むぎいいとホームで頬張っている。面白い食べ物だよなあ、ベーグルって。それから六本木へ。ミッドタウンをうろついてトイレに行く。富士フィルムのギャラリー見ようかなと思ったけど、そうだ忘れないうちにと今度松本に行く電車の手配などをする。しかしどれも自由席で買うので焦ってする必要もなかったのか、と終わってから気づく。美味しそうなものは色々売っているが何も買わない。

新美術館で 話しているのは誰?現代美術に潜む文学 を見る。しかし少し時間配分というか、出品アーティストの確認をおろそかにしていたことを後悔する。もっと時間を取っておくべきだったのだ。最終的に足りなくなってしまい、勿体無いことをしてしまった。いささか甘く見ていたが、6作家ひとりひとりにたっぷりとしたスペースがとられ。映像、音声作品が複数あるので全部見聞きしたい派ならがっつり時間とっておかねばならない。全ての作家の作品を他で見たことはあり全体に楽しみだったけど特に見たかったミヤギフトシさんの展示は結構良かったと思う。こないだTOKASで小さい展示を見たのもあり、同じようにクラシック音楽を流している空間でありながらまた全然違った仕上がりだったのは、おお、と目を見張った。ミヤギさんの展示室に入り、進み、開けた長方形の空間を目にした時、部屋の真ん中あたりにおかれた長椅子に座る人々や壁面の写真を見るために立っている人などが6.7人ほどいたと思う。それでいて誰もがしんとした静かさをまとっていて、そこにゆらっとクラシック音楽が流れていた。それはベートーヴェンピアノソナタ32番。その光景、空間はあまりに出来すぎているような気がしてちょっと驚いた。静謐、というのだろうか。そのように静かさが共有されていたのは構成のせいだろうか。4つか6つかのモニターには英語字幕で、そのモニターの天井部からはふたりの男性の会話音声が順番に流れるのだが、その音声は意外と聞き取りにくい音量の細やかさがある。あれはわざとそのようにしているのだろうか。ミヤギさんのこの作品のタイトルは 物語るには明るい部屋が必要で となっている。小説ディスタントの中の会話のような、その外の会話のような気がした。このプライベートな会話をあえて、というか、明るく開けた空間でさあ話そう、聞こうという態度をとることはそれでいてとても親密な距離感を用意されている気がする。うまく言えない。ピントがあるようなないような写真。何周かしてしまう。内側から境を通して見る向こう側。また静止画のような、動画もある。レコードが回る。ピアノが弾かれる。一つ一つの動作、動きがささやかで触れられそうで、いや違うんだと思う。

小林エリカさんの展示もむちゃくちゃ見応えがある。すごい。オリンピックの聖火の起源やその道筋、ウランがもたらすもの、日本にやってくるはずだったオリンピックとウラン、やって来なかった。展示室でおじいちゃんが監視スタッフの人にここにあるの全部が一人の作家の作品なの?と驚くように聞いていた。たしかに、そうだ。

山城知佳子さんの映像作品もまた独特の緊張感と迫力があって、なんだなんだ、と目を耳を見張る。でもそれはフィクションじゃないと思う、気づく。声、音、身振り、山城さんの作品は色々なグニョっとした感触がある。沖縄出身の山城さんとミヤギさんが映像と音楽を扱って、使っているのが印象的だなと思う。クラシックとオペラと。オペラという表現、技術を内面の表現として映像の中で使うというのが面白いなと思った。

北島敬三さんの写真はもう時間がなくてなくてざーっと見るだけになってしまい。すごく沢山あったな。見たかった。でなんで時間がないかというとミヤギさんのトークがあったからだった。植本一子さんと長島有里枝さんという写真家3人だけでのトーク。3人とも小説やエッセイも書いてるし、読んでるし、これはぜひ聞きたいと思っていた。美術館側の人が一切入らないトークというのも珍しい気がするが。トークの類を聞きに行きたいと思うのは、どんな人なのか実際に見てみたいというところも結構ある。18時からだったものの、まあまあ人はいたような。しかし部屋がでかすぎるような。余分に印刷したアンケート用紙とか勿体無いなーと思っちゃう。3人ともわりと思っていた通りの印象があったし、とは言えそれの及ばない具体的な人間味があった。面白かった。特に興味深かったのは文章にするにあたっての距離感の話など。そしてそれはそのまま写真に出ているものであるのだろう。長島さんはやはりフェミニズムについても詳しそうだし、自分が経験してきた実体験があるからかなおさら見ること見られることなどの視点の問題意識がはっきりしていた。今度本が出るらしい、それは面白そう。