液体か、涙は または水とゆめ

あなたも誰かの日記に記されているのかもしれない

午前中はあくびばかりして過ごす。それで疲れてお昼を食べたら頭痛がしてきた。仕事はあまりつまってないこともあり、午後はあさいさんと伊藤詩織さんの話から広がっていろいろと話をする。ツイッターで見かける伊藤さんの裁判の判決に関連して出てくる女性に対する侮辱、それらはあまりにひどくて自分で積極的に見る気にはならないし、目に入っても元ツイートをたどることさえ恐ろしく気味が悪くてする気にはなれない。でも目を背けていいことでもない、むしろそのようなとんでもない自分たちに都合の良い解釈しかできない人たちがさまざな濃度をもってこの社会にはたしかにいることを目の当たりにしなきゃ、それはおかしいのだと主張しなければいけないことにすら意識的になれない。何かがおかしいこと、何がおかしいのかについて、自分の身をもってよく想像し、考えなきゃいけないと思う。19時から千葉の現場。終わってからブロンコビリーでご飯。店舗としては微妙。チェーン店も結局は店ごと、もしくは個人の力量によって決して同じではないなあとつくづく思う。帰宅して生きてることの寂しさにどうしようもなく行きづまるような気分で寝る。寂しさというのか、与え与えられるもののなさ、というような具体的なものなのだろうか。からっぽだ。母から明日はイヴだからご飯食べに来ればとメールがくるが夜は仕事あるからと適当な嘘をついた。

 

昨晩は帰宅して即ご飯を、鍋を作って食べて日記を読む会に行ったことを日記に書いて…とやってたらなんだかすごく体がだるいことに気づきとてもお風呂に入る気力はないと思われとりあえず寝た。23時過ぎに起きるも気が変わらないので寝た。一度夜にお風呂はいるのがめんどうになると癖付いてしまう。なぜそんなに疲れたのだろう。ふだんあまり人と喋らないのに喋ったせいだろうか。人がいっぱい、といっても10人もいないのに、そうゆう場に意識を向けるのがふだんなさすぎて、さすがふたりだけの会社で働いてるとこんな感覚になるものなのか、と思えたりする。もともとキャパが広くないとはいえ、そうゆうものかと思うとなぜか少しがっかりしてしょげる気持ち。そういえばあいトリで見た田中功起さんの作品の映像の2が日記を読む会を彷彿させるものがあったみたいな話をしようと思ってたのにすっかり忘れていたなと思う。でもそうゆうのって、思ったその時の鮮度が大事なのである気がして、時間が経っちゃうと自分でも得たはずの確信がうすれてしまう。いろんな人の日記を知って、自分ももっといろんな風に日記を書いてみたくなる。sさんのお母さまの高校時代の日記は時代的なものかもしれないけど富士日記とか彷彿させられるなあと思って、自分もそんなように書けたらと思うけど、無理だな〜と思う。気高さがない。かなしい。