今はもう日記なんてはやらないんだろうと思っている。ネット上における日記なんて、お得なためになる有益な情報がのってるわけでもない、何のためにも参考にもならないどんな人だかもよくわからない人の日記というコンテンツなんて。そう感じてたのは私自身がその興味を失っていたからだと言えると思う。私は基本的に、ほとんどのものごとに対してとても保守的で懐古的なところがあると思う。意固地で頑固で昔よかったもの、自分が信じたものからはなれられない。新しいもの、未知のものに対しておそれと敵視を抱くのだ。それは変えられないものだなと年をとればとるほど感じていく。そのつまらなさに、なぜかまたおそれを感じている。未発達さのような、遅れのような、おそれには未熟さのイメージがつきまとう。私が日記という体裁をつづけているのはなぜだろうかということは常に考えさせられる。この日記は私だけが見ているわけではないが見ている人もほとんどいない。ブログではなく日記なのだと私が言い張ることにどんだけの意味があるのかは自分でもよくわからない、ただのしがみつきでてだのわがままで駄々をこねているだけようだとも感じる。昔は知らない人の日記になぜかたどりつき、なんとなく惹かれてはブックマークをして読んでいた。あの頃は日記があることは今よりもっとふつうで、今でならまとめサイトにすぐ誘導されてしまうのと同じ程度に知らない誰かの日記にいきあたっていたのかもしれない、いやまあもうそこらへんはそんなに覚えてもいないけど、でもまず検索すれば個人サイトに当たるというのはあったような気がする。日記が流行っていたのだと私は思っている。私自身がその流行りにのったつもりでいるから。今でももちろん個人のブログに行き当たることはできるけど、私自身がそんなに熱心に意欲的にそういったブログを探すこと自体減っていて、なにより意味のある内容、ブログではなんだかちがう、ということが気になるのかどうかとは思ってて、いや、そうじゃなくて、なにかおもしろいブログだとか記事だとかをSNSで気軽に共有できてしまうということがつまらないのではないか、そこが私は気にくわないのではないか、なあんて気もしてきた。なんだって人と共有できる、それについて自分の意見を添えて、賛同だとかおかしいだとか、そうゆうのがいいんだと思えることはあるのと同時に、なんでもかんでも誰とでも共有しようとすることは強要しようとしているようでもあるような。どうなのかな、よくわからないけど。ただひとりでいて、偶然選んだクリックにおいてたまたま見たものを誰にも教えず納得したり共感したりして自分のはらのなかにしまっておく、たくわえていく、それは殊更誰かに言いふらすものでもなく、自分だけの感情の出入り、そうゆうものが昔にはあったのかもしれない。インターネットは誰かと共有するもの、わかちあうもの、それが前提、大前提、そのためのツール、それが窮屈。だったりして。だって、共有されることに価値があって、されないことには、となってしまう気がして。共有ってなんだろうと思う。瞬時に即時に反応すること、とか。分かりやすさとか、面白さとか、それの何が大事なのかよくわからなくなる。自分には誰かに読んでもらうための何かなんてとてもじゃないけど書けないなと思う。それは十代の頃から少なからずあって、その葛藤をどうするのか、それを貫くのか、屈するのかが悩ましくもあった。それは読み物じゃなくてもいい、同じかもしれない。そこにあるのは自分を卑下する感覚なのか、もしくは違う何かか。ちゃんとすること、形を整え、見やすく分かりやすくする、自分なんかがそんなことをしていいのか、と思う。でも同時にそんなことを思っているのはぬるいとも思える。あまりまだ具体的に言葉にすることができない。するのがこわい。まず最初にある自分なんかが、という意識が考えることやその先を見ようとすることを放棄している。何もない、何もできないという設定管理のもと、従順におとなしくしている。これ以上、この先のこと、言葉にできない。なんて書いていいのかわからない。口にできない、という自分自身の避けているところ。

他人から認められたいなんていう感覚を持つことが恥だと思えてしまう。自分がそんな思いを抱くなんて、笑われてしまうことだと。そんなこと思ってはいけない、間違いだと指導する自分がいる。それなら最初からないことにすればいい。求めなければいい。でももうこの先もずっとそうしているのは限界で、自分をだまし続けることもできないんじゃないかって思う。そのことをいかに意識できるだろうか、露呈させられるだろうか。

仕事はまたつまってきてるし来週もつまってきてるしこれでは全然気が抜けなくてしんどいなあと思う。見たい映画がたまっているが、そうそう見にいく体力が残っていない。今週末も展示で見たいものを見ておかないとなあと思うと、映画は見れるものが限られる。ドキュメンタリーをたくさん見ていこうと思い始めたのは、なんでだったっけか。前は物語を見ればいいと思っていた。はやく週末になってほしい。働いて、あっという間に1日が終わる。仕事はこの先新型ウイルスの影響で悪くなっていくのではないかという気もする。もともとそうゆう影響を受けやすい面もある。でもそんなの狭い業界の話じゃないだろうとも思う。増税、暖冬という流れで十分経済は不活性になったのではないかと思うのだが、この先どうなっていくんだろうか。オリンピックなんて本当にあるんだろうか。この国は一体今どうゆう状況だと言われるのが真っ当なのか、もうよくわからない気がしてしまう。それでも働く日々で精一杯な自分はなにを、どこを見ようとしようか。特にこれという信じられるもの、人なんてむこうから目の前に現れやしない。それは自分から前進して、探しに行かなければ見えないのだろう。

 

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