昨晩パソコンで書いてたメモをiPhoneのメモで開いては文字を打っては消したりつなげたり抜いたりまた入れたり。メモの同期ってほんと便利だよなあということは常々思っている。自分は何が言いたいんだろう、伝えたいんだろうということは、友だちにメールを送るときほど考えるし悩むよなあと思う。しゃべり言葉じゃなくて、文字でなきゃ伝えられないと思うんだけど、文字で伝えることのまとまりという枠におさめられることで発生する危険がある。それがとても怖い。すぐその場で補足ができない。余計なことばかりを言っていないか抽象的な物言いになっていないか、そもそもそれは言うべきなのか、くらくら何が言いたいんだかよくわからなくなった。いかんいかんよく考えよう、と冷静さを取り戻したのはもう夕方だったか。夜から現場で、会社でのつくりはキリが良いとこまでやったので一旦家に帰って2時間弱休んでまた再集合することに。その間は本など読む。現場は19時からで会期は明日からだし物量多くないしプレッシャーも少ない。でもやはり久々の学会現場なこともあり自分がぬるい。でもまあいっか、こんなもんで、とゆるい。バレンタインデーなのでお客さんにチョコをあげる。バレンタインに現場があったときにはあげる、ということにしている。ないよりはあれば悪いことはないだろうと思うことにしている。最悪甘いものが嫌いでも珍味として食したらいいのではないか。もらった人もそれくらいしたっていいだろう。22時過ぎに終われた。2月とは思えない気温の高い日だったのでやはり現場も暑かった。秋葉原あたりの松屋で夜ご飯を食べる。かなり久々に入ったが、なんだか電子化が進んでてびっくり。注文がタッチパネルなのはまだしも、出入口には自動音声でいらっしゃいませ、ありがとうございますが流れているし会計も精算は機械化されていて店員さんは伝票受け取ったら去ってしまいお客がお金を入れてるときにはもういないっていうのが新鮮すぎる。まあ気楽に気長にできるけど。支払いを終えるとやたらでかい音量で機会がありがとうございますと言う。うるさいくらいに店内に響く。二種類の声のありがとうございますがある。店員さんも言ってはいる。え、言うんだ、、と思ってしまう。すごい世界だ、と思う。なんだかここはすごい、すごかった。でもそんなこと思ってるのは店内で私くらいなもんでみんな平然と座り、食べては出て行った。すごいなこの店、この国は、こんなことになっているのか。最初からそうだったのかもしれない。私が異世界からやってきた。強烈だ。あさいさんがバレンタインの晩飯がこんなんですまないねえ、とか言ったそばからここで言ってはいけなかったと自ら気づいててなんだそりゃ、と思う。別にいつの晩飯が松屋だろうと良いのではないかと思う。しかし豚汁の大根が固いのはどうかと思う。豚汁のクオリティがダメ。帰宅して、まだメモと悪戦苦闘。伝えたいことはこれなんだ、と、もう長々しくなったのはしょうがないしょうがない目をつぶってもらおうと思うことにして送る。こわいのですぐお風呂に入る。出てからこわごわスマホを見る。返事がきてて、ほっとしてしまう。自分が伝えたいと思ったことが決してそのまま伝わるわけはないと思う。たとえこちらの一方的で異なる意見だったとしても、それを相手が受け取ろうとしてくれるかどうか、なのだ。それが一番こわいことだ。向こうに何も届かないということもあるから。何かを伝えようとする、伝わるかもしれないと思うなんてことは傲慢なんじゃないかとも思う。実際、ああ何も伝わらなかったんだと感じさせられるときには強くそう思う。思いあがっていたんだと落胆してしまう。それでも何も言わない、何も言わないで見守るやさしい人になんて私はなりたくないのだった。それはきっとあとで後悔する、そうゆうのはしちゃダメなんだと思わされるだけのこれまでがあったじゃないかと思って書いて送ったメッセージは、ああもしかしてこんなに彼に誠実に書いた文章を送るなんて初めてかもしれないなと思えた。恥ずかしさを恥ずかしいと言ってしまうことさえ恥ずかしくて、隠していた。でももう隠してなんていられないんだと思えたのはこないだTくんとしたやりとりがあったからかもしれない。私は結局彼らから教わることがあるのだなあと思う。今はまだうまく言えないけど、やっぱり彼らは他にいない彼らでしかない存在なのだと思った。私たちは大学時代にたまたま同じ場所にいただけそれだけのこと、そんなの大した縁でも意味でもないんだ、ただの偶然のすれ違いに過ぎない、所詮、そんなもの、一瞬のこと、視線だってあってもいないようなもの、そんなふうに思おうとしていたかもしれない。でも違ってた、そうじゃなかったってようやくわかった。ただそれだけのことの中に、私たちがいまだに固執して、引きはがせないこびり付きがあるのだと思える。それをよく見ようと思った。それを引っ張り出してきて、それがこれだよって目の前に差し出していいんだ。もっとずっと前からそうするべきだった。