お昼からaちゃんと代々木公園で待ち合わせ。行ってみたかったMealsでお昼を食べた。全部が絶妙な味のききかたでおいしい。そのあとフグレンでカフェラテを買って代々木公園に行ったら人がわんさかいた。桜の木がつぼみをふくらませていた。aちゃんはそのつぼみを写真に撮る。ベンチに座って、向こうの丘ではなん度も繰り返し無数のシャボン玉が生成されているのを見た。そのあと渋谷のケニヤンへ。すごく久しぶり、10年ぶりくらいに来たかも。思わず、初めて来たときに座った席ってどこだったんだろうと店内を見回して、あ、きっと2台しかないこの丸テーブルに座ったんだ、と思い出した。その瞬間、ぶわああっと16年前にとんだ。映画やドラマで回想シーンがながれるみたいに、むしろそれにならって、頭のなかで、rさんがいてkさんがいて、あとから来たtさんとkさんとでテーブルを囲んでいた。あれはたしか2月でぎりぎり誕生日の来る前で私はまだ17だった気がする。17の私もそこにいた。17の私はまるで私とは思えないような内気さと恥じらいとがまだあったような。まだ自分の未熟さそのものが恥ずかしくてたまらなかった。それがもう34になったというのだから、え、ていうかケニヤンがそのまま残っているのもなかなかすごいことだ。そのあとAXで見たデートコースのライブ、AXだってもうない。初めてみた新宿リキッドルームだってない。私はミルクティーを頼んだ。もんのすごいあっつあつで出てきて、何度も表面に膜ができていて笑ってしまう。ケーキも渋谷でいまだこんなケーキが出てくるのかっくらいの素朴なたたずまいと味で、でもうんうんこうゆうそのまんまのスポンジとクリームが食べたいよなあって思える感じでほっとした。帰りの電車はすいていた。もう別れの時間だから、ってなって気が抜けたのか、aちゃんとやけにあれこれ笑いながら話す。長いつきあいでも、それでもまだまだお互いかっこつけたり自分をよく見せようとしてて素という素が、いまだ見せていなかった、指摘していなかった素についてついぞさらけ出して笑っちゃうの、ほんとそれって笑えるなって思う。私たちがそれぞれに苦しんできたこと、悩んできたことを、そこから得て学んできたこと、知ってきたことを私たちは共有することができる。自分の体験でなくたって、私たちはそれを互いに見せ合えば自分の身につけることができる。女として、人として、その感覚を、触れあえるものがある、それは熱をもった石のようなもの、それがあって、ほっとする。でも今日は聞くことにわりと徹したせいかなんだかすこし疲れる。自分のいうことなんて、しょせん当てにならない。と思わざるをえない面もある。それをすこし無理をする。sくんの話をすこししたのもあって、気がゆるんだのもあって、行き先決まったの?って連絡したらすぐに返事がきて、決めたよというので、なんかそれにもろにショックを受けてしまった。それは、もう決まってたのに私に教えてくれはしなかったんだということが、なんでちゃんとそっちから教えてくれないの、私が心配してる気もなんも知らないでいるだろうことも、それでいて何も知らせやしないでいるのだろうことも予測範囲内だったけどでもそれでもショックなんて受けてる自分がいて、いやになってしまった。ばっかみたいと思って、もう知らないと思って、返事してやるもんかと思ってそのまま放ってたらさすがにsくんからもう一度連絡がきた。でもそれでもなんかもうほんと全然わかってないんだなと思って10分くらいむしゃくしゃして、ちゃんと教えてくれないから悲しいんだよってことを送ったらさすがに分かったのか弱ってるときは自己中になる、ごめんというような返事がきた。もうそれでも全然わかってない、いつも私が心配するばっかりで私のことを心配してくれたことなんて一度もないしろくに話も聞かないし興味もないのは知ってるけどそれにしたって心配にさせてるのはそっちでしょ?って話で、ほんと大学のときとおんなじ、ほんと誠実さのかけらもない、最低だと思って直接言わなきゃ気がすまなくなって結局電話した。申し訳なさそうに謝っていた。私は12年前のことを思い出していた。そのフラッシュバックだった。先生の部屋で、カレンダーで、私の誕生日の日にちに、sくんが副手の面接を受けるのを知った。なんで私に教えてくれなかったの、私には教えてもらえないんだ、そんなことも教えてくれないような関係だったんだってことがショックだった。私が思ってたのとは違うんだってことを突きつけられたみたいで、なんで?!なんで私に言ってくれないの?!ってたぶん誰かに言った。それは言えなかったんだろうなって思うこともできるけど、でもいやだった。裏切られた気さえするようだった。信用されてないことの証だった。だから私は卒業式の日にも冷たい態度をとったかもしれない。私は泣きながらその日のことを伝えた。でももう最後には笑った。大抵の過去はもう笑えてしまうくらいにはなっている。そのあと結局喋りたくてしょうがないみたいにたくさん喋るので聞いた。いやもうそんなにやさしくはしないんだからと思いつつ。

生理がきてしまえばこっちのもんって感じがする。自分の体が、自分の自由になる感じ。ようやく解放されて、私の体を私があつかえるという手ごたえがくる。