なにかが崩壊し始めていて、なにをしてても泣くことに侵されてしまう。泣くことに負けてしまう。泣く感情に支配されてしまう。それは自分の意志じゃない。私が思う私はのっとられてしまう。もう不安だらけなのだと思う。何を見ても聞いてもすべて自分の身の不安になってしまう。それはこわいとも言う。何がこわいと言うわけではない、何もかもがこわいのだ。ただ自分が押し込められ、押しつぶされていくような。何もできないし、何も考えられない。何にも感動しないし、何にも救われない。死にたいと思っているときの感情や状態とはまた全然違う。使い物にならない自分を放っておくことしかできない。何もしてあげられない。めんどくさくて放置してた本やファイルなどの入った段ボールもようやく開けて片付けることにした。とりあえず入れることだけにしたからそのなかから捨てるものはよりわけることにした。いろんなチラシなどの紙ものはファイルにざっくりわけてあるが、主に音楽に関するチラシをいれたファイルからこぼれおちた小さいサイズの紙もののなかに、これは?というしおりサイズのものがあった。それはチケットだった。硬質な紙質がその形状をとてもまっさらにきれいに保っていて、ずいぶん前のもののはずなのに、と思うとうそみたいだとも思えた。だってもう13年前だ。ふつうのほかの美術館のチケットならたいがい端が折れてたりする、悪ければ色あせてさえいる。なのに出てきたそれは文字がすべてローマ字なこともあり、異様にできあがっている感じがした。きっちりと光からも風からも守られ保管されてきたような、場違いみたいな高貴さでさえある。なんでこれがここにあるんだろう?と思う。昔からチケット類はたいがいひとまとめになにかしらの形で束ねてきている。ときどきにはしまい忘れてそのあともしまいようがないチケットが出てくることはあるけど、こんなに前のものがなぜあるのか、さっぱりわからない。でもそれは大学4回のときに先生と息子のよしくんとで京都に行ったときのチケットだったから、とてもなつかしく、いとおしく思い出せるものだった。しかしなんで私もがチケットを持ってる?おかしいよな?先生が講演を聞きに行ってるあいだ、私はよしくんのおもりをしていた。講演の後、ちょっとだけ私も展示を見たけど、そのときに通行証的にもらったんだろうか。そんなもんかもしれないと思った。覚えてないけど、そんなもんだろうと。でも今日になって、もう一度チケットを取り出して見つめていたら思い出した、これはきっと先生のチケットだった、それを先生が私に展示を見てきたらと渡して、ようは貸してくれた。そのことははっきり思い出した、そう、チケットを渡してくれたんだ。私はそれをそのまま返しはしなかったということだろう。そのあと外に出るともう暗くなっていた。先生がバイト代として5000円くらいくれそうになったから、いらないと断った。そのせいか、そのあと中華料理屋で5000円のコースを頼んでくれた。鴨川沿いの、手動でエレベーターのドアの開け閉めをする中華料理屋で。そこまでの道すがら、よしくんを真ん中にして手をつないで歩いたのがハイライトだったけど。私ははじめてそれが疑似家族の体験だったから、強烈だった。杏仁豆腐を頼んだのに杏仁豆腐が来る前に寝てしまったよしくん、駅に着く頃に目覚めて杏仁豆腐を逃したことに泣いたよしくん。2、3日前に先生から急に電話がかかってきたときのことふくめこわいくらいによく覚えている1日のことだ。私は大阪に来て最初に買った紺のワンピースを着ていた。もうきっとこのエピソードも何回も思い出してる。それによって私はまた思い出しては懐かしむことができる。私はどれだけどんなふうに先生のことが好きだったか、もうそれは、今となっては、実際を語ることなんてできないのだと思う。今の解釈になってしまうから。それでいてその当時の私は無自覚だった。それでいて全部わかっているつもりだったの、ほんと笑える。あんな風に人を好きになることなんてもうきっと一生ないと思うって言うか、そんな好きのあり方があったなんて、実践していたなんて、やるなあ私、とさえ今なら思う。それでよかったけど、でも不十分だったかもしれない。すべてははっきりしていてさえも分からなさがある。だから成立した。永遠にループしそう。

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