久しぶりに出勤して働いたら疲れたので帰宅してもなにもする気がせず、スマホで無心でツイッターをながめていた。いろんな人がいろんなことを言っている。日々うつりかわっていく。そのことにもううんざり飽きてきてしまってるような自分がいる。給料が減っていくことを思ってもそんなの大したことじゃない、すぐに生活が困るわけでもないし貯金もあるし世の中も少しずつ回復していくのだろうし。そう思おうと健気に自分をはげまそうとしている。でも帰ってきてひとりになると、やっぱり直接的に不安にかられている自分がいることはわかる。おそれ、かなしく、さみしく、自分がみじめになる思いにのしかかられて、どれだけどのようにこれまでしていた生活を変えて切り詰めたら良いのだろうか、大丈夫なのだろうか、私はそれをちゃんとできるのだろうか、といくつもの連鎖した不安に胸が押しつぶされそうになっている。朝になったらそうゆうことは全部忘れようと思う。朝になったら気持ちを切り替えて、そんなの全然たいしたことじゃない、そう思ってへらへらしているんだ、そう思おう、遠くのむこうの景色に目を向けて、すぐ目の前でたむろするあやしい踊りに心をさしだしてはいけないのだと注意して、深刻にならない軽さを身につけようと、いうことにしている。つもりだ。それは無理をしているというのだろうか。そんなことはない、そうやって生きようという選択にすぎないと思う。でも自分の中ではどこかそれはごまかしのようにも感じることはある。うそ、いつわり、だまし、ごまかし、すりかえ?自分はなにも考えないようにしてるだけなんじゃないか。生きることのあるべき理想的な姿なんてわからない。いつもぜんぶ嘘のようにも感じられる、それは前々からうすうす感じていたこと、それがよりあらわになってはいるのかもしれない。美徳のような誠実さや真面目さを私は欲しいが手に入れららないから諦めているようでもある。お腹もすかないから布団で寝て覚めたら23時過ぎてた。体がものすごくだるい。また殺されそうな具合に。なんなんだろう、久しぶりに体を使ったからか。全身しびれるようにだるい。あさいさんとも久しぶりに会ったからいろいろ話をした。あさいさんは中途半端にリベラルとか知性をふりまいてくる人に対しての嫌悪が強いのは前からわかっているが(それは一応理解が及ぶ範囲ではあるが時々そうゆう人たちを批判する人たちの言説に納得しすぎで危うい気がする、ので意見がぶつかる)、その線引きを強固に持っていくとネトウヨみたいになっていったりするのかなと想像する。ある一面においての話ではあるが。まあでもどんな意見や情報もよくよく見分けないといけないしなんでも鵜呑みにしてはいけないってことだ。それを言えるくらいには自分で見聞きし判断するものを養っていかないといけない。といったことを今はより意識するようになった、それはこの状況において学ぶことだ。

朝ごはんにパスコのフォカッチャにあんこを調子こいてつめこみすぎたのが夜までおなか重たかった原因のような気がするがバターじゃなくてクリームチーズ合わせたほうが好きかなって感じがした。

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