気づいたらずっと書いていなかった。いや気づいていたけど。最近は毎日毎日頭痛がする。ぼんやりとする。痛くないのに痛いような気がするということになっているのか、ほんとうに頭痛がしているのかの見分けがつかない。頭痛がしているような気がしているということにただ悩まされているのかとしれない。毎日頭痛薬を飲むので消費が早い。こんなに頭痛薬を消費することになるとは思ってもいなかった。先週は短期のバイトの面接を受けに行った。職業訓練校に行く前のころにやっていたのとほぼ同じ仕事、むしろそのころのより簡単そうでそれでいてでも時給は少し上がっていた。しかし落ちた。週3しか入れないし本業があるというのも応募人数が多い中では不利だっただろうか。どこかでほっとしてる自分もいた。やっぱりめんどくさい気もしていた。また他に探そうかどうしようか、いやなかなか仕事もないもんだと思っていたら本業のほうが少し仕事も増えてきて現場仕事が多いけど夜の現場もつづくことを考えると副業はやっぱりまあいいか、なんてまた簡単に開き直ったりする。ばかみたい。それでようやく先月から予約しといた物件の内見に行き、そこで部屋を決める。今の部屋の解約を出して、引越し屋を探し、訪問見積もりに来てもらって日時も決めて、それから美容院に行ってカットとパーマをやってもらってなんてすっきりとした髪の毛になる。最初からこうだったかのように錯覚しちゃうな。そうじゃないのに。ネットフリックスで韓国ドラマの愛の不時着を全部見たあとだったから?なのか?関係あるのか?なんか男性の美容師さんふたりにパーマ剤ぬってもらったりするのが奇妙にぜいたくのように思えた。愛の不時着はすごくおもしろくて、そのおもしろ要素は色々あるが、役者さんたちの眼で演技する上手さだったりカメラワークや編集の上手さ、おもしろさが冴え渡っていてドラマという虚構の物語にするする引き込まれていくという体験がとても新鮮で強く印象的だった。欧米の映画やドラマとはまた全然違う親近感と全然違う文化、社会でもあるということをこんなにも鮮やかに見せてくれるなんて、韓国ドラマってはじめて見たけどとても驚いた。ドラマだと登場人物が多いから、それがすっごくおもしろくてよく練られて作られている。主演のふたりの俳優さんもとても素敵でかわいらしくて惜しみなく役を演じているように感じた。おもしろいな。美容院のあと、有楽町のヒューマントラストシネマでダルデンヌ兄弟の「その手に触れるまで」を見た。さすがのダルデンヌ兄弟、という感じだ。そんな風に言ってしまうのは簡単で乱雑だとは思うけど。終始冷たいようなカメラの視線は主人公の少年の心のなかのありようそのもののようだと思える。こないだBS1で見たやはりベルギーに住むイスラム教徒の家族の6歳の少年たちをとらえたフィンランド製作のドキュメンタリーを思い出しながら見た。信仰にいつどこでどのように出会うのか、それは幼いひとたちにとっては選びようがないともいえるし、適切というものがあるのかどうかもわからない気もする。すごくいい映画だと思う。でも、あいかわらずなんてなんて淡々としていて味気ない映画なんだろう。でもそれが映画というなかでヒヤリと感じさせられるリアルでもある。これがまた映画なのだと思う。冷たくて重い。宗教のことについては日本にいるとやはりあまり肌感覚にもうすいものになってしまう気がするが、もっと。宗教に限らずとも民族という視点からでも知るべきなのかもしれないとも思う。