朝から現場のため上野で待ち合わせ。久々だなーと思う。現場に行くときは引っ越すことでまた面倒になるが、いたしかたない、でもやっぱり朝の通勤ラッシュ時間帯の電車に乗らなきゃいけないのがめんどくさい。現場は新橋で、ガラス面の貼る作業が多いからyさんも呼んでいた。yさんと一緒に現場やるのとかいつぶりかわからないが。居抜き物件でまだ壁も天井も床もできてない、つまりそれらの業者さんも入ってる状態でつまり粉まみれになるのはわかっていたがやっぱりいやだ。もちろん空調もないし風の通り道は出入り口だけだが、ガラス面で作業をするから暑い。しかもマスク。最初からみんな汗だらだら。マスク、ほんとしんどい。マスクにも汗がしみわたる。ぼたぼた垂れる。こうゆうときは自分が女だなんてことは忘却するに限る。女だ、とも認識されたくないのは自分がつくづく女なのをわかっているからだが。女だと知られるとなにか不利が起こるんじゃないかって気がしているんだろうと思う。実際そうだとしか思えないから警戒する。いちいちこうゆう発動があるのがめんどくさい。誰かと一緒に作業をするというのは相手と自分のやり方をあわせにいかないといけないが、3人だとあさいさんとふたりでやるときとはまた全然違うからいつもより、どうしようかな、と悩んでしまうことが何度かあって、それが自分の動きとして無駄があった。無駄というか、どうしようか?と立ち悩む時間がもどかしい。でしゃばりたくもないが、できないやつ気が利かないゆつとも思われたくはない。なにも思われないくらいがいい。14時半過ぎくらいには終わるも、駐車場で料金はらったのにストッパーがさがらず待たされる。私は荷物番してたから、植木のとこに腰かけてゲームして待つ。労働者だなあって感じがする。ずいぶん脚立を上り下りしたからこれはさすがに筋肉痛になりそうと思う。お風呂あがりに鼻かんだら鼻水が灰色の粉にまみれてた。夜に寺尾紗穂さんの配信ライブを見た。ほんとうは高円寺でワンマンだった。先行でとってたチケットは最前だったが端のほうでこれはどうなんだろうと思っていた。途中から伊賀さんとあだちさんが参加して、そのあとさらにユザーンも参加。ユザーンのタブラの単音はまるで電子音のようだった。伊賀さんはひげがもじゃもじゃになってて、あだちさんは相変わらず。寺尾さんのピアノを弾く指元がよく見えるのは配信のよいところだ。ふつうじゃありえない。ふつうの、これまでの、生で見るライブでは。なんだかでも、ああもしこれを生で見ることができていたらなあ、そしたら、何か違っただろうと思ってしまう。配信を見ている人の数が表示されている。それだけの人が見ているのだと思う。でも、それでもそれは誰が見ているのかわからない。知らない人たちがひとつの場所に集まって一緒に見る、いる、ということとはたしかに違うことだ。知らない人たち、その知らない誰かとでもしかし共有していること、できることに、私はすくわれていたと思うよ。なんか、やけに、そのことを痛感した。配信を見ていることに、なんだかむなしさを感じ始めていると思う。つらいのだ。私は音の振動を直接に感じたいのに、そうではない、それではない、きっとそこから得られるものがあったはずなのに、ない、ということを感じてしまう。ROVOのライブはチケット取るのに迷ってたら売り切れてしまった。配信で見ると思うけど。会場にお客さんがいる状況だとまたなにか違うだろうか。