昼過ぎにmちゃんと待ち合わせをして氷川神社に行きよく歩きmちゃんが私の部屋に泊まった。なんだかよくわからない緊張をしていた。よく考えたら学生時代にも私がmちゃん家に泊まったらほかの友達の家に一緒に泊まることはあっても私のところに泊まりにきたことはなかったはずだ。いろいろとこわい気がした、おそれた。けれどどうにかなるだろうと思うことにした。何をおそれているというのか、と思うことにした。大学時代、卒業後、就職、喧嘩して、またその後、そして年末からのやりとり、mちゃんとの間には常にうねりくねるものがったように思う。それは独特かもしれない。似ているところと似ていないところ。それらは簡単に言い表したり区分けしたりできるものじゃないのだ、ということには年をとってきてから気づいた。誰とも似ていやしないじゃないか、と今は思うけど、若いころは似ている似ていないと考えること、その安易さ程度しかなかったのだと思う。恥ずかしいが。年月を経て、昔に比べたらずいぶん自分にも相手にも過剰に求めたらり返されることを要求しないで済むようになったようには思う。けれどそれでもいまだにどこかで引きちぎられるような感情を突きつけられたりはするものだとも思う。けれど、自分は今そうなっている、そう引き起こされてしまうんだ、という解釈ができるようになっているだけずいぶん違うのだと思える。私に一体何があった?