自分ってほんとおかしい人なんだろうなのかもしれないなあと思う。でも。でもそう思えばだからそだからそうなのか、なるほど、それですべてこれまでのすべて説明がつくってことか、と思う。でもそう思った瞬間、なんだか、どん底に、先の見えない暗闇の谷に吸い込まれるようにかるがるおちてい落ちていくように血の気が引いてしまいそうな気分にもなる。私は落ちるべきなんだ。落ちる人なのだ。

私みたいなそんな人が、ほか他の人に優しさを見せようとすること自体があまりに間違っていて、私の中でもそれをエラーと認識できるのではないか。だから誰かに優しさのようなものを提示してしまった時、その反動みたいなものがぐったりやってくる。やさしさというか、正しさや誠実さ、丁寧さを重ね許容を提示する。自分でもよく自分なんかが他人にそんなことを言えたものだと思う。

私は悪い人なのか、ずっと、そんなふうに問うてきた自分が蘇ってくる。悪いか良いかという二項対立にすべてを捧げ、賭けてしまう。それしか見えない。両側に高い壁が立っているみたいに、他のことがなにも見えなくなる。それは自ら選択しているの?わからない、気づいたらそうなっている。それがどこからやってきたのかもわからない。気づけば私はそこにいて、包囲され、そこから出られない。出なくちゃって何度も思う。なのに出てこられていない。またそこにいる。そこにいたいのか、いたくないのか、わからない。

過去と決別したみたいな自分を笑うみたいにやってくる。手垢にまみれた私は抜け出すことなんてできやしない、お前は永遠に逃れられやしない、苦しみ続けなければならず、まともな人になれるわけがない。良い人になれるわけがないことを思い知る。私は悪い人なの?だからこうなっているの?悪い人がなぜ生きているの。悪い人という自分を私は背負いきれず、悪いという悪さに自分の存在を認められなくなる。私の口が悪いのだ。