土曜だけど出勤。駅まで歩いて約10分、その道のりが部屋を決めるにあたってはずいぶん疎ましいもののように思って部屋を決めかねる一要因になっていた。けれど今となっては歩くのにちょうどいい距離だ、と日々思っているというか、まだそれは言い聞かせているという感じだが。なんせ夏になったらどうなるんだろうという心配が先立ってしまうから。それに梅雨は。もうすでにそうゆうことを想像しては憂鬱になる心配をしている。今日はべつにあさいさんの方から出勤を頼まれたわけでもなく、自分から必要なら出ますよと申し出た。こうゆうのは去年くらいからだろうか、それはコロナがあって確実に心理的に生まれた変化だと思う。なるべく自分も積極的に手助けをしようとすんなり思えるようになり、加えて、これもすごく大きいけど休日出勤手当てでもっとを金を稼ぐべきだと自覚するようになったし、そう思っていいんだと理解するようになった。以前なら、休日出勤して稼ぐということに積極的になれなかった、そこには本心から休日は休みたいという気持ちもあれば、露骨にそうゆうことを思ったり言ったりすることに下品さを感じていたんじゃないかという気がする。必要に迫られてする、それは自然であるとする、それなら良いけど、という線引きの良し悪しがあったような気がなんとなくする。でも今はそれより先にあさいさんの負担は分担できるならしておこうと思うし、多分前は休日にはめいいっぱい外の世界を見て回りたいという焦りや欲などがあったけど今はそれももうなくなったから。まあだからいくつかの理由が相まっている。そうだなあ、プラスの手当てをつけさせることに対しての遠慮があったんだ、そうだ。自分の給料が会社の負担になるんじゃないかという不安、多くをもらおうなんて思えるほどのものじゃないんだといったような感覚があった。その辺そうゆうのがかなりがらっと変わったんだよな。コロナの時間を通じて。コロナがもたらしたものは本当にすごく大きくて多くて、何もかも違うくらいの違う景色だと思える。主にカキワリ作って、昼は出前館大戸屋、サバ焼きを食べて15時頃に終えた。無印で買い物して帰宅。何かと片付けなどしてたら、楽天とゾゾで買った服が届いた。

図書館で借りていたキム・へジン「娘について」を読み終えた。83年生まれの著者、すごいな。強烈な攻め立てるような言葉の数々。自分は娘として娘の立場として語り手の母親の話を受け取るのだが、なぜか自分自身が母親の語りに混ざり合うのだった。そうか、そうなんだな。

日記書くの久々だから難しいな。言葉が全然出てこないというか、つなげられず紡げずという指が舌がもつれるようだ。なんか気持ち悪い。滑ってる、キーボードの上を指が。肩もこる。