日記を書くのがこわい。頭の中ではいつも日記として文章にすることを考えているのに、それを日記として書き出すのを避けている。

 

私は自分で自分を大切にするということができないんだと、はっきりと気がついた。いくらかまえ、1ヶ月か、2ヶ月前か、もう少し前だったか。その事実、というかその文字に、愕然として納得して、その確かさに身動きが取れないと思った。私は「それ」から一生抜け出せないと思った。それは考えを改めればいいということなんだと思う。そうしていいんだ、そうするべきなんだ、自分で自分の人生をより良くするために。でも絶対に私には無理だ、そんなことできるわけがない、そんなことは絶対にできない、私にはそれが絶対にできない、無理だ、というその服従は一体どこからやってきたのだろう。でも絶対無理だって、私がいうことを聞かない。そんなことできない。そんなことを私はしたことがない。そう、私はずっとずっと繰り返し自分で自分をさんざん痛めつけてきた。いかに自分がダメな人間か、卑しい人間か、どれほど悪くて酷いのか、それをいうための言葉を探し続けていた。それを書き連ねないといけないのだと思っていた。それができないとダメなんだと。もう、それらはやってしまった。もう取り返しがつかないことなんだ。全てを自覚して受け入れてしまっている。自分を大切にする、ということとは真反対のことを自分はやってきたのだ。日々、自分をけなしてけなして痛めつけてこんな愚かな自分は早く死ぬべきなんだと言いつけてきた。実家の自分の部屋の壁に、死ね死ね死ね死ねとマジックで書き連ねたのは自分の体の外側からそう言われているんだと言い聞かせたかった、自覚したかったから。自分の皮膚に同じように描いたのも、自分の心だけがそう言っているのでは許されないと思ったから。もっともっとその声が欲しかった。死ね死ね死ね死ねともっと言われたかった。それで死にたかった。

その後も私は生きている。ずっと生きてる。よく生きていると思う。よく生きたい訳じゃない。生きたいなんて、私が思うようなことじゃない。私には口にできない言葉だ。私は早く死にたいと言っていることしかない。それしかない。それしかない。気づいたらそうだったんだ。私がよく生きたいなんて言えるわけがない。そんな根拠がない。そう思う思い方がわからない。どうしたらそんなこと、そんなふうに、思えるんだろう。でもきっとそう思って生きらられる人たちがいるんだ。その人たちと自分はあまりにも違う人間なのではないか。私には到底無理だ。自分がよく生きるなんてあり得ない。あり得ないとしか言えない。そんなこと許せない。そんなこと、本当に、絶対に、言わない。頭で考えられないんだ。イメージができない。

自分を否定ばかりしてきた。肯定することなんて、あったんだろうか。どれが肯定?どれかは肯定かもしれない。けれどけれどそれらはすぐに霧散してしまう。自分でも自分が言っていることは何かおかしいと思う。穴というか、ズレというか、空洞というか、繋がっていないおかしな土地のよう。私はそこをずっと歩いているのだろうか。

日記を書くとなると、こうやって、辛いことに向き合わなくちゃいけなくて、それが最近はもう嫌なんだ。逃げたいんだ。自分の頭の中だけで考えてそれで終わりたい。書き留めていくことの苦しさがから顔をそむけたい。嫌い。逃げたい。日記なんて書いてなかったことにしたい。自分を記したくない。

 

アダルトチルドレンについての本を今一度読み返したほうがいいのではないか、と思うも怖くてできない。