frueには結局行かなかった。1週間前に宿を予約するまでしてたのに、結局キャンセルした。キャンセルしてからやっぱり日帰りででも行けないだろうかと思いはじめてタイムテーブルと新幹線の時刻表をつきあわせてみたけど、結局最後までは見れないことや、バスの時間の読めなさを思うとさらに早めに会場を出なくてはいけないことを思うとこわくて、それなら行かない方がいいだろうと思った。いったい何をしてるんだろう。

自分なりになんでこんなに逡巡してしまうのか、なにに怯んでいるのか、考え続けていた。月曜から生理前現象としてのめまいが発生してきたのは大きかった。一気にそれで不安になった。でもめまいが起きるより前にも行く気をふるわせられてなかったようにも思う。なにがこわいんだろうとその要因となる欠片を探し、その点点をつなぎ合わせる線について具体的に想像して仮定する。そうなのかもしれない、違うのかもしれない。わからないけど、そうなのかもしれないと仮固定でもしていかないと先に進めない。

人が沢山いるところに行く拒否感、フェスに何年も行ってないという気後れ、もしかしたらライブを見てもなにも感じ取れないかもしれないことへの恐怖感はもうこれは今回に限らずほかのライブに対しても起こってるしライブだけじゃなくてアートに対してもそうだしこれはコロナが起こってから自分に起きた変化として大きく支配し左右されている気がする。なんで自分はこんなことになってしまったのかわからない。2週間前くらいの土日にせっかく2日連続の休日なのにどこにも出かけられなくてそんな自分に泣いていた。自分を自分で把握しきれない。自分の意識、頭で言葉で考えているつもりのところと身体が一致しないでズレているようではあったけど、そのことを受け止めて言葉で理解することはできなかったのだ。自分はどうしてこんなことになってしまったのか。コロナにはかかっていないのに、コロナの世界の暮らしで自分は変わってしまって、それで失ってしまったもの、怯えることになれてしまって、それはまだ元に戻せていない。ほとんどの人はこんなことないんだろうか。不思議に思う。なんでそんなすぐに前と同じみたいにできるんだろう。でもそれよりただ自分が変わってしまったことに残念さを思いながらも諦めてしまうことに慣れていく自分が、うっすらとこわい。